妙圀寺跡(読み)みようこくじあと

日本歴史地名大系 「妙圀寺跡」の解説

妙圀寺跡
みようこくじあと

[現在地名]御津町金川

臥龍がりゆう山東麓にあった日蓮宗寺院。通例妙圀寺と記すが、史料上には妙国寺とみえる。山号は日向山。不受不施の中心寺院京都妙覚みようかく(現上京区)末寺であった。文明一二年(一四八〇)御野みの富山とみやま(現岡山市)から金川かながわ城に本拠を移した松田元成が、弟の華光院日精(俗名元満)開祖として創建した。寺号は元成の法号である。旧寺域は江戸時代の日置氏陣屋および家臣屋敷を含む二町歩余と推定され(御津町史)、松田氏歴代の保護を得て栄え、多数の寺中寺院および末寺を有していたが、永禄一一年(一五六八)の松田氏滅亡によって寺勢の衰退を余儀なくされた。代わって大檀那として復興に努めたのは金川の豪商江田氏であり、慶長一〇年(一六〇五)第七世化城院日城は江田兵衛尉浄運・同孫右衛門宗安の助力によって梵鐘を鋳造しており(日向山鐘銘)、元和五年(一六一九)には本山妙覚寺から日奥が巡錫に訪れている(日奥聖人略年譜)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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