金川村(読み)かながわむら

日本歴史地名大系 「金川村」の解説

金川村
かながわむら

[現在地名]御津町金川

宇甘うかい川と旭川の合流する水陸交通の要衝に位置し、南は宇甘川を隔てて河内こうち村の枝村富谷とみたにに接し、北には松田氏が居城を構えていた臥龍がりゆう(二二〇メートル)がそびえる。村名は金川城主松田氏が相模国の出身で、「相州金川七曲の神社の氏子なりし故、此処へ七曲神社を勧請して所の名をも金川と改」めたとか、「川二筋左右に流れたる故にかね川といひしなり」といわれるが(備陽国誌)、明らかでない。

備前一宮である吉備津彦大明神の神事などを書上げた康永元年(一三四二)の「備前一宮社法」によれば、「金川上下」の神社の年二度の祭に一宮から「楽頭ノ社家衆十二人」が奉仕していたとある。延文三年(一三五八)四月三日には金河左衛門光泰・金河五郎左衛門泰持が「宇甘郷ノ半分ノ内惣社以下神主職ノ事」について備前守護所へ上申している(「金河光泰申状」県立博物館蔵)。具体的な内容は不明だが、光泰・泰持は金川に居住する松田氏一統の武士とみられている(御津町史)。松田氏は相模国足柄上あしがらかみ松田まつだ(現神奈川県足柄上郡松田町)を本貫とする御家人で、鎌倉時代に御野みの伊福いふく(現岡山市)の地頭として来住、建武三年(一三三六)頃から貞治元年(一三六二)頃にかけて松田盛朝・信重が備前守護を歴任しており、この頃御野・津高つだか両郡に一族が繁行し、津高郡の要衝金川にも一統が在住していたのであろう。松田氏ははじめ御野郡富山とみやま(現岡山市)を本拠としていたが、文明一二年(一四八〇)頃松田元成が臥龍山に金川城を築いて移り(和気絹)、以後五代にわたって在城した。松田氏は熱心な日蓮宗の信徒で、元成は金川に移るや、臥龍山東麓に妙圀みようこく寺を造営し(「妙圀寺奉加縁起之事」妙覚寺文書)、また城下に居住する者には永代地子銭を免除して商工業者の集住を図ったといわれ(「松田氏系譜」岡山市史)、金川城下には城主や一族の居館、重臣の屋敷を中心に城下町が形成されていたと思われる。

永禄一一年(一五六八)松田氏滅亡後の金川城には宇喜多直家の弟春家が在城した。関ヶ原の戦で宇喜多氏が滅び、小早川秀秋が備前・美作を領有すると、金川は重臣稲葉伯耆の知行地となったと思われる(「宇甘村十兵衛等連署願書写」海野文書)

金川村
かながわむら

[現在地名]川之江市金田町金川かなだちようかながわ

現川之江市の南部、法皇ほうおう山脈の嶺北の村。東は半田はんだ村、南は三角寺さんかくじ村、馬立うまたて(現宇摩郡新宮村)、西は妻鳥めんどり村、北は上分かみぶん村に接する。村の北部を金生きんせい川が流れ、川に沿って阿波道が通じている。三角寺川が村の西部を流れて金生川に合する。土佐道が村の中央を貫通する。

村名は初めは加奈川かながわと書いたが、三角寺村境の碗淵わんぶちから金の竜神像が出土して三角寺に所蔵され、雨乞の時に像を淵に戻すと効験があり、淵水が村に流れるところから金川に改めたという。宇摩うま山田やまだ郷に属したとされ、戦国時代には、とどろき城などを中心に戦乱が相次ぎ、信藤氏・大西氏などが攻防を繰り返した。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇摩郡の項に「金川村 柴山有」とみえる。江戸時代には、天領などを経て宝永元年(一七〇四)から西条藩領。

金川村
かながわむら

[現在地名]塩川町金橋かなはし

三橋みつはし村の南東、日橋につぱし川北岸にある。集落は檜原ひばら峠越米沢街道(上街道)沿いに位置し、制札場があった。塩川組に属した。南は日橋川を挟んで河沼郡しま(現河東町)、南東は馬場ばば新田村。天正一七年(一五八九)六月五日磨上原合戦で蘆名義広を破った伊達政宗は、翌六日「金川・三橋」付近まで兵を進め、同日夜には当地などに残っていた蘆名勢も退いている(伊達天正日記)。集落東方の駒形こまがた山はこのとき政宗が一時陣を構えた所という(新編会津風土記)。同年一〇月一九日政宗は「かな川」など五ヵ所を片倉小十郎に与えている(「伊達政宗充行状」反町文書)。なお地内たてうち(館中)は石井丹波守平盛秀の館跡という(新編会津風土記)

金川村
かねがわむら

[現在地名]男鹿市船川港金川ふながわみなとかねがわ

男鹿半島南部に位置し、東南は日本海に臨む。背後に標高約七〇メートルの丘陵を負う漁村。海岸に沿い南西は船川ふながわ村、北東は比詰ひづめ村に続く。丘陵から縄文期の土器片が採集される。

天正一九年(一五九一)の出羽国秋田郡知行目録写(秋田家文書)に「金川村 椿村 はらい川村 本山村 沢村」として二六六石三斗三升三合とある。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に金川村一〇三石と記され、享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)に当高七五石一升五合とある。同一五年の「六郡郡邑記」には家数二一軒とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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