妻籠宿(読み)つまごしゆく

日本歴史地名大系 「妻籠宿」の解説

妻籠宿
つまごしゆく

[現在地名]木曾町吾妻 妻籠

中山道を南から木曾路きそじへ入って二番目の宿場で、馬籠まごめ峠を挟んだ、隣宿馬籠宿とともに木曾川からは遠くはずれた高地に位置している。

天文二年(一五三三)醍醐寺理性院厳助が伊那郡の文永ぶんえい寺へ下向の途中、五月一九日に妻籠へ一宿した記録「信州下向記」(醍醐寺三宝院蔵)によると「ツマゴ(妻籠)ニ一宿也、旧田小(太)郎方ヨリ挙状有之、妻子ハ木曾一家也、(中略)木曾路之内也」とあって、当時既に妻籠宿が設けられていたことを有力に物語っている。このことは更に同じ「信州下向記」の中に「五月廿日、晴、妻子ヲ立テ道二里、広瀬迄妻子ヨリ送人馬等有之、自広瀬又山中一里計間悪所也、自妻子被申付広瀬者五人送来也、又広瀬ヨリ送挙状有之」とあって、宿人馬の常備されていたこともうかがわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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