姥倉運河(読み)うばくらうんが

日本歴史地名大系 「姥倉運河」の解説

姥倉運河
うばくらうんが

松本まつもと下流鶴江つるえ台南麓から北東の萩漁港まで全長約八〇〇メートル。姥倉新川ともいう。

萩城下町は阿武あぶ川の下流に形成された三角州上にあったため、洪水のたびに堤防が決壊すると、市街は何十回となく浸水を繰り返した。とくに天保七年(一八三六)の洪水は築城後最大のもので、世に申年の大水といわれ、城下の三分の二が水没した。この時南苑なんえんにいた毛利敬親は船でかわら町の御客屋(町奉行所)に避難した。この体験により、敬親は藩主となって後、嘉永六年(一八五三)二月に運河を起工し、二年三ヵ月の歳月を費やして安政二年(一八五五)四月完工した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の姥倉運河の言及

【萩[市]】より

…町数は1694年(元禄7)に萩城下本町41,浜崎13であったが(《元禄御国目付記》),1716年(享保1)城下本町で増加して合計58町となり(《巡見御目付集》),以後幕末まで変動はなかった。たびたび洪水に見舞われたため,中央部に1687年(貞享4)新堀川,1739年(元文4)藍場川を開削し,松本川下流に1855年(安政2)姥倉運河を開通させて排水を行い,灌漑や舟運に利用した。1863年(文久3)藩庁が山口に移転したため,萩は城下町の機能を失い,経済的にも大きな打撃を受けた。…

※「姥倉運河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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