姫方村(読み)ひめかたむら

日本歴史地名大系 「姫方村」の解説

姫方村
ひめかたむら

[現在地名]中原町大字簑原みのばる字姫方

蓑原みのばる村の南、綾部あやべ川(寒水しようず川の上流左岸に位置する。集落は洪積台地の姫方原丘陵を中心にしてあり、綾部川左岸平地および石井いしい川沿岸平地を耕地とする。

正保絵図に村名がみえる。北浦きたうら村・栗崎くりさき村は枝村である。古代基肄郡の姫方郷と同名であるが、これは口分田の遥授が郡域を越えて行われ、やがて里民が移住して成立した移住集落だとされる(佐賀県史)

貞享四年(一六八七)改の郷村帳では地米(年貢)高一五五石余の佐賀藩配分地。

姫方村
ひめかたむら

[現在地名]鳥栖市姫方町ひめかたまち

田代たじろ町・幡崎はたざき村・永吉ながよし村・飯田いいだ村・はる村に囲まれ、村域を山下やました川とその支流本川ほんごう川が流れる。集落は山下川の西、舌状に南東に延びた比高五メートルの中位段丘に立地する。「肥前風土記」にみえる姫社ひめこそ郷の遺称地とされ、大永三年(一五二三)の桑原文書(大宰府神社文書)には「姫方庄」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報