姫路城跡(読み)ひめじじようあと

日本歴史地名大系 「姫路城跡」の解説

姫路城跡
ひめじじようあと

[現在地名]姫路市本町

姫路市街地の中心部にある標高約四六メートルの独立丘陵ひめ山を中心とし、周囲の平地を取込んだ近世の城。姫路藩の藩庁が置かれ、幕府にとっての西の守りとなった。白鷺はくろ城ともよばれる当城の特徴は美しさだけでなく、典型的な平山城であること、惣郭の構をもつこと、城郭中枢部の縄張法が自然をも生かして複雑巧妙であること、天守建築の最高水準である連立式を完全な姿で示していることなどがあげられる。大天守一棟ほか七棟は国宝、城内の現存建造物七四棟は国の重要文化財、内曲輪一帯と中曲輪の一部が国の特別史跡に指定され、平成五年(一九九三)姫路城は世界の文化遺産に登録された。

〔姫路城の前身〕

最初の築城者については赤松円心説や赤松貞範説がある。元亀(一五七〇―七三)頃の赤松家伝袖ノ記(智恵袋)に「正慶元年円心子息張軍評定、姫路縄張極メ小寺ヲサシヲキ摩耶ヘ出張」とあり、赤松円心(則村)の姫山縄張説のもとになっている。また天正四年(一五七六)の播磨府中めぐり(同書)に「貞和二年赤松貞範此山に構槨を建、姫山の城と名ク」とある。これは五軒邸の正明ごけんやしきのしようみよう寺境内に「貞和二年歳次丙戌五月九日」と年紀刻銘された供養塔があり、同年姫山の称名しようみよう(正明寺)が山下に移されたのは姫山に築城のためであったという解釈と結び付いての説である。しかし「智恵袋」に収められる諸書には近世に加補されたところが多いこと、赤松氏が姫路付近にほとんど所領をもっていなかったことや、現在のところ当時姫山の城が存在したことを示す史料が確認できないことなどから、赤松氏築城説を実証するのはむずかしい。

播州諸城交替連綿之記(姫路市立城内図書館蔵)によると、貞範は「姫路城主之最初也」で、四年間在住したのち貞和五年(一三四九)庄山しようやま城に入り、同族の小寺頼季を赤松家の目代として姫路城を守らせ、続いて景治・景重・職治と小寺氏が四代続いたという。頼季は「太平記」に木寺相模として登場、赤松則祐とともに大塔宮二品親王の令旨を播磨に持帰り、また親王と行動をともにした人物とされる。職治は嘉吉の乱後、書写山坂本堀之さかもとほりの城に馳せ付け、城山きのやま(現新宮町・龍野市)で討死した。彼らは実在の人物であるが、姫路城主であったという確実な史料に欠ける。

応仁の乱が起こり、それまでに勢力を回復しつつあった赤松政則は、山名宗全から領国を奪回するため細川勝元方に属した。土着大名の利もあり比較的簡単に西播磨を取戻した政則は、応仁元年(一四六七)一一月に姫路城を修造して居城としたが、文明元年(一四六九)に播磨・備前・美作三ヵ国の守護を拝領した頃置塩おしお(現夢前町)を築いて本城とし、姫路城は小寺則職に守らせたという(前掲交替連綿之記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「姫路城跡」の解説

ひめじじょうあと【姫路城跡】


兵庫県姫路市本町ほかにある近世の城跡。別名、白鷺(はくろ)城。姫路市街の北側にある姫山と鷺山からなる丘陵と、麓の低地を取り入れて造営された。北、東、西の3面は急崖、南はややなだらかで、西の船場川が城地の西辺を限っている。姫山の頂上に本丸を置き、その南から西にかけて低く二の丸を配し、山腹には階段状に小さな曲輪(くるわ)を造り、鷺山の高所に西の丸を構えている。姫山の東麓から鷺山の南麓にかけては三の丸などがあり、これらの内曲輪を中曲輪・外曲輪が3重の螺旋(らせん)を描くように取り巻き、城下町を含めた総構えと呼ばれる城郭都市を形成していた。内曲輪内部の面積は23ha、江戸時代初期に建てられた3棟の小天守を従える5重の大天守をはじめ、櫓(やぐら)などの主要建築物が現存する。大天守・小天守・渡り櫓など8棟が国宝に、櫓・門・土塀など74棟が重要文化財に指定され、城跡は近世における城郭の形態をよく伝える遺跡として、1928年(昭和3)に国の史跡に指定された。1956年(昭和31)には特別史跡に格上げされ、1993年(平成5)には「姫路城」としてユネスコの世界遺産に登録された。築城は1346年(正平1・貞和2)、赤松貞範(さだのり)によるとする説が有力である。安土桃山時代には播州平野を支配した小寺氏に仕えた黒田氏や羽柴秀吉がここに城郭を営んだが、関ヶ原の戦いの後に城主となった池田輝政によって、今日見られる城郭に改修された。輝政は、徳川家康から豊臣恩顧の大名が多い西国への牽制を命じられ、1601年(慶長6)から8年をかけ広大な城を築いた。以後、池田輝政から明治初年の最後の城主酒井忠邦までの約270年間、6氏31代の城主が城を治めた。1945年(昭和20)7月の姫路大空襲で城下は灰燼(かいじん)に帰し城内にも着弾するが、不発であったことなどにより、城郭建築の焼失は免れた。JR山陽新幹線ほか姫路駅から徒歩約17分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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