朝日日本歴史人物事典 「本多忠政」の解説
本多忠政
生年:天正3(1575)
江戸前期の大名。三河国(愛知県)生まれ。通称平八郎,美濃守。本多平八郎忠勝と阿知和右衛門某の娘の嫡男。妻は徳川家康の嫡男信康の娘,初陣は天正18(1590)年の小田原攻めで,父忠勝と共に岩槻城を攻め破り軍功を現す。関ケ原の戦では本多家の軍団の主要部分を率いて徳川秀忠に従い中山道を進み,上田城を攻めた。慶長15(1610)年父の遺領桑名10万石を襲封。大坂冬の陣,夏の陣にも勇戦。元和3(1617)年,15万石に加増して播磨国姫路に転封。寛永8(1631)年秀忠病むとの報に姫路を発したが,中途で病を得,江戸に到着した8月10日に没する。猛将にして国を守り家を保つ道を知る智者で,その死は秀忠,家光はじめ重臣に惜しまれた。
(藤實久美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報