子成場村(読み)こなしばむら

日本歴史地名大系 「子成場村」の解説

子成場村
こなしばむら

[現在地名]新津市子成場

信濃川右岸にあり、東は出戸でと村。天正年間(一五七三―九二)信濃の人上田作右衛門の開発といわれ、初め小須戸こすど(現中蒲原郡小須戸町)の字鵜出古木うでこきの西隣にあった(中蒲原郡誌)正保国絵図には新発田藩領として村名が載る。享保三年(一七一八)の新発田領郷村村役人調(桂家文書)には「小須戸町庄屋吉岡名兵衛、子成場村組頭津左衛門」と記され、慶応四年(一八六八)の新発田藩領村役石高帳(同文書)には「小須戸町之内子成場村」とあり、小須戸町庄屋の支配を受けていた。慶応二年の口上書(両組産業開物之巻)によれば、家数一〇八のうち二三軒が難渋者で、小作のほか鍛冶・木挽・長船乗・屋根葺・笊作・漁業植木などの副業が行われ、婦女は賃糸・賃機で稼いでいた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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