日本歴史地名大系 「学村」の解説
学村
がくむら
慶長二年(一五九七)の分限帳では林与右衛門(能勝)知行分のうちに学村高四三二石余がみえ、仲条三十郎知行分のうちにも学村高二〇〇石とある。正保国絵図では学村高七三五石余のほかに棟八村高二〇石余がみえる。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳には覚村とみえ、田高一六三石余・畠高五七二石余で、松山と注記される。棟八村には芝山の注記があり、高二〇石余はすべて畑方。延宝五年(一六七七)蜂須賀隼人に麻植郡・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報