児島村
こじまむら
[現在地名]川島町児島
東流する学島川を境に学村の北に位置し、吉野川右岸(南岸)の沖積平野と同川の川中島である善入寺島の南部を村域とする。東は桑村、西は三ッ島村。小島とも書いた。源平合戦後にいったん没官されたのち後白河法皇から源頼朝に下され、寿永三年(一一八四)四月五日に頼朝から平家一門池大納言平頼盛に返還された所領三四ヵ所のうちに「小嶋庄 阿波」があり(「源頼朝下文案」久我家文書)、「阿波志」などはこの小嶋庄を当地に比定するが、異説もある。
慶長二年(一五九七)の分限帳では林与右衛門(能勝)知行分のうちに小島高三七九石余がみえる。
児島村
こじまむら
[現在地名]日立市留町
久慈川下流の左岸低地に位置し、西北を落見川が流れて茂宮川に合する。東南は留村。「水府志料」によると元禄五年(一六九二)に留村より分村し小島村と称したが、水戸領内に別に小島村(現久慈郡金砂郷村)があるため、改めて児島村と称し、元禄郷帳に「児嶋村」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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