日本大百科全書(ニッポニカ) 「孫六兼元」の意味・わかりやすい解説
孫六兼元
まごろくかねもと
生没年未詳。室町後期、永正(えいしょう)年間(1504~21)に活躍した美濃(みの)(岐阜県)の刀工。兼元の初代は文明(ぶんめい)(1469~87)ごろで、以後同銘は新刀期を経て現在に至っているが、もっとも著名なのは2代目の孫六兼元である。俗称の孫六にちなみ、江戸時代には「関孫六(せきのまごろく)」の名で有名になったが、孫六兼元は濃州赤坂に住み、関には居住していない。関に居住した3代兼元と誤って伝えられたものとみられる。孫六の作風は、杉木立をしのばせる三本杉という刃文(はもん)に特色があり、これは三つの尖(とが)り互(ぐ)の目(め)刃のなかの一つが高くなったものが繰り返されて連なる刃文である。同時代の美濃鍛冶(かじ)中出色の存在であった孫六は切刃(きりは)の刀工として名高く、幕末の試刀家山田浅右衛門(あさえもん)は切刃の最上大業物(おおわざもの)に選している。三本杉の刃文は後代、加賀(石川県)の陀羅尼勝国(だらにかつくに)などが模倣している。
[小笠原信夫]