美濃国の刀鍛冶。兼元を名のる刀工は室町中期から江戸時代にかけて数代,数工いるが,最も著名なのは関の孫六といわれる室町末期の大永・享禄(1521-32)ころの2代目兼元である。一般に室町末期の美濃刀を末関物(すえせきもの)と称すが,これは武儀郡関(現,岐阜県関市)を中心に作刀されていたからであり,関の孫六の俗称もこれによる。しかし孫六兼元には〈濃州赤坂住兼元作〉と刻んだ作が現存し,実際には,不破郡赤坂に住していたことが知られる。作風は三本杉といって,尖った互(ぐ)の目乱が三つずつ連なる刃文に特徴がある。兼元の名がよく知られているのは古来切れ味が特に優れていたからで,江戸時代の刀剣書に大業物(おおわざもの)として掲げられ,また物語にもしばしば用いられている。その一つに,徳川家康の臣,青木一重が姉川の合戦で,朝倉方の将,真柄十郎を斬ったと伝える〈青木兼元〉と号する刀がある。
執筆者:原田 一敏
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(原田一敏)
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…関市春日神社にある関鍛冶の系譜を記した《関鍛冶七流之事》には金重の子金行の娘に大和手搔包永(てがいかねなが)を養子に迎え,その子兼光の子孫が善定兼吉,三阿弥兼高,奈良兼常,得印兼久,徳永兼宣,良賢兼舟,室屋兼在と7派に分かれてそれぞれ一流派をなしたとしている。室町中期以降はこの関を中心に蜂屋に兼貞,赤坂に兼元,清水に兼定らの名工がおり,これらを包含して末関物と称している。室町末期における関は備前とともに二大生産地として大いに栄え,刀工の数からは備前をしのぐものであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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