兼元(読み)カネモト

デジタル大辞泉 「兼元」の意味・読み・例文・類語

かね‐もと【兼元】

関孫六せきのまごろく

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精選版 日本国語大辞典 「兼元」の意味・読み・例文・類語

かねもと【兼元】

謡曲四番目物廃曲作者不詳。和泉国槇尾寺を訪れた兼元は、寺に預けた我が子花若が池に身を投げて死んだことを聞き嘆くが、山伏加持によって熊野護法善神が現われ、花若を蘇生させる。別名熊野詣(くまのもうで)

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改訂新版 世界大百科事典 「兼元」の意味・わかりやすい解説

兼元 (かねもと)

美濃国の刀鍛冶。兼元を名のる刀工室町中期から江戸時代にかけて数代,数工いるが,最も著名なのは関の孫六といわれる室町末期の大永・享禄(1521-32)ころの2代目兼元である。一般に室町末期の美濃刀を末関物(すえせきもの)と称すが,これは武儀郡関(現,岐阜県関市)を中心に作刀されていたからであり,関の孫六の俗称もこれによる。しかし孫六兼元には〈濃州赤坂住兼元作〉と刻んだ作が現存し,実際には,不破郡赤坂に住していたことが知られる。作風三本杉といって,尖った互(ぐ)の目乱が三つずつ連なる刃文に特徴がある。兼元の名がよく知られているのは古来切れ味が特に優れていたからで,江戸時代の刀剣書に大業物(おおわざもの)として掲げられ,また物語にもしばしば用いられている。その一つに,徳川家康の臣,青木一重が姉川の合戦で,朝倉方の将,真柄十郎を斬ったと伝える〈青木兼元〉と号する刀がある。
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朝日日本歴史人物事典 「兼元」の解説

兼元

生年:生没年不詳
室町末期の美濃(岐阜県)の刀工。美濃には同名の刀工が何人かいるが,赤坂(大垣市)に住した2代目兼元で俗に関の孫六と呼ばれるものが特に有名である。孫六兼元は最上大業物,すなわち切れ味がもっとも優れるものとして,江戸時代の刀剣書のほとんどに掲げられており,同時代の和泉守兼定と共に美濃鍛冶を代表する。作品は63cmほどの寸の短い打刀が多く,短刀もあり,大永(1521~28),享禄(1528~32)の年紀作がある。作風は三本杉と呼ばれる尖った互の目乱が連れる独特の刃文に特徴をみせる。代表作には徳川家康の臣青木一重が姉川の戦(1570)で,朝倉方の真柄十郎を切った「青木兼元」,黒田家の「大仙兼元」などがある。<参考文献>得能一男『美濃刀大鑑』

(原田一敏)

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百科事典マイペディア 「兼元」の意味・わかりやすい解説

兼元【かねもと】

美濃赤坂在住の刀工。室町〜江戸時代にかけて,同名が数代あるが,2世の孫六兼元が有名。三本杉と称する〈互の目(ぐのめ)乱れ〉の刃文(はもん)を得意とし,作風は後の新刀鍛冶(かじ)に影響を与えた。切れ味のよいことでも名高い。

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世界大百科事典(旧版)内の兼元の言及

【関物】より

…関市春日神社にある関鍛冶の系譜を記した《関鍛冶七流之事》には金重の子金行の娘に大和手搔包永(てがいかねなが)を養子に迎え,その子兼光の子孫が善定兼吉,三阿弥兼高,奈良兼常,得印兼久,徳永兼宣,良賢兼舟,室屋兼在と7派に分かれてそれぞれ一流派をなしたとしている。室町中期以降はこの関を中心に蜂屋に兼貞,赤坂に兼元,清水に兼定らの名工がおり,これらを包含して末関物と称している。室町末期における関は備前とともに二大生産地として大いに栄え,刀工の数からは備前をしのぐものであった。…

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