宇佐木保(読み)うさなぎほ

日本歴史地名大系 「宇佐木保」の解説

宇佐木保
うさなぎほ

現平生町大字宇佐木辺りと思われる。

天福元年(一二三三)頃とされる周防与田保地頭訴状案(東大寺文書)に「尋出他領宇佐木保住人良与法師畢」とみえる。当時の詳細は不明であるが、「吾妻鏡」元暦二年(一一八五)正月二六日条に、宇佐木を本拠とした宇佐那木上七遠隆が源範頼兵糧米を献じた記事がみえる。

文明一二年(一四八〇)三月二六日付の旧宇佐木村庄屋の渡辺家の文書に次のようにある。

<資料は省略されています>

また、山を境にして北方新庄しんじよう(現柳井市)、東方の伊保庄いほのしよう(現柳井市)との境界について、「一、新荘宇佐木ヨリ北ノ方、是久賀郡山堺目ハさやミ垰道かぎり、但どう屋敷有之云云、新荘山ひら尾崎ヨリ宇佐木也、山ひらへ取つゝきはあぜが堺目也、あぜより下之田、新荘分、久賀之内正本分田宇佐木山、此所は北むき山そへ田壱町、宇佐木分有之、年貢壱升之在所、此北むきのひらほり田より取つゞきよこ道有之、此道ヨリ下ハ、久賀郡之内、上ハ熊毛郡宇佐木也、此山つゞき岡ハ、両方ヘ水ハシリ、道も有之、猿田ノ岡二ツ岩より、飯野山両ひらよこ道ヨリ、下宇佐木岡ハ、新荘分也、道ヨリ下熊毛郡、上ハ久賀郡也、此山道つゞきたふろき田大在所有之、此宇佐木田ノ上ニ新荘正本分三町ほり田と申田有之、堺目山ぼり云云、一、たふろき田水おち三ケ村堺目之事、道上北ハ新荘、東ハ伊保荘、此村之内西南之間ハ宇佐木也」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報