宇出津町(読み)うしつまち

日本歴史地名大系 「宇出津町」の解説

宇出津町
うしつまち

[現在地名]能都町宇出津・宇出津新うしつしん崎山さきやま一―四丁目

内浦街道の宿駅で、商業・漁業で栄えた町場。北西に湾入する宇出津湾沿いに広がる。かつて宇出とも記し、「うせつ」ともいう。集落は初め東の珠洲すず羽根はね村境のノ浦付近にあったが、棚木たなぎ城の落城後に今の湾部に移転したと伝える(能登名跡志)。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に珠洲郡「宇出村」とみえ、公田数は一〇町七段で、江戸期の宇出津町・宇出津山分うしつやまぶん村付近に比定される。年次に検討の余地のある文応二年(一二六一)六月一三日の諸橋六郷田数目録(諸橋稲荷神社文書)には「宇出津ト藤並之境ハ、上ハタウノワノ脇、下ハ船カクシノ森海共ニ」とあり、宇出津の田数九町七段九のうち見作田は七町三段四、そのうち神田一町六段(白山二段・山王二段・酒垂五段・御嶽二段・観音堂三段・若宮一段・阿弥陀堂一段)・人給三町二段(地頭二町・守護八段・公文二段・番頭一段・刀禰一段)を除いた二町五段四が定田であった。

延徳三年(一四九一)七月には宇出津から一貫三〇〇文の社納が諸橋もろはし稲荷神社(現穴水町)になされている(「稲荷宮神役申状案」諸橋稲荷神社文書)。永正一五年(一五一八)三月に能登を旅した冷泉為広の「能州下向日記」にみえる「ウシホ津」は当地であろうか。享禄五年(一五三二)五月の穴水村・諸橋六郷長衆交名案(諸橋文書)に、諸橋六郷衆として「う志ツ」の二郎兵衛・源右衛門尉の名がみえる。天文元年(一五三二)七月の諸橋六郷・南北棟数注文写(諸橋稲荷神社文書)によると、宇出津で棟役を負担する役屋は七五間とあり、戦国後期頃の能登内浦村々給人注文写(諸橋文書)では宇出津は三宅小三郎の知行であった。天正一〇年(一五八二)五月一五日、越中魚津に在陣する前田利家は宇出津に上陸した越後上杉方の長景連や牢人衆に対処するため、魚津から長連竜を派遣して警戒を厳しくするよう真柄助三郎らに伝えている(「前田利家書状」中谷文書)。慶長三年(一五九八)には、宇出津の山地子銭を五割増とすることが三輪吉宗に命ぜられている(「前田利家印判状」三輪文書)。なお寛永一一年(一六三四)の稲葉左近書状写(上時国家文書)などによると、時国ときくに(現輪島市)の時国家が土方領の百姓となったのち、同家惣領藤左衛門が当地に隠居して分離を企て、廻船活動に従事している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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