宇多田郷(読み)うただごう

日本歴史地名大系 「宇多田郷」の解説

宇多田郷
うただごう

笛吹川と支流おも川・川とが合流する手前の日川右岸に比定される。歌田とも記される。観応二年(一三五一)六月二〇日の留守所補任状(大善寺文書)に宇多田郷とみえ、当郷内の御堂後に所在した東三昧田四段の名主職に最手房丸が任じられている。同地は大野おおの郷住人某から暦応五年(一三四二)二月一八日に尼道忍へ売却された後、貞和五年(一三四九)一〇月二〇日の六郎三郎、観応元年一〇月二六日の五郎次郎の手を経て、最手房丸が取得したもので、名主となった最手房丸は「有限所役御年貢」を勤仕するよう命じられている。応永六年(一三九九)二月七日には当郷内の三昧田四段に経田四段を加えた八段が二年間の未進年貢一五貫文のかたとして続吉によって大善だいぜん(現勝沼町)に寄進され(「続吉寄進状」同文書)、さらに同年六月二七日には某により、一一月二四日に前河内守沙弥常俊により同様な寄進状が作成されているが(「某寄進状写」寺記、「前河内守常俊寄進状」大善寺文書)、同地は「国衙経三昧田」とも記されているから、嘉慶元年(一三八七)一二月一三日の綿塚右衛門入道常法の寄進状に基づき大善寺が国衙八幡宮法華経田公文職に任じられた際の法華経田に相当すると考えられる(「留守所補任状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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