歌田村(読み)うただむら

日本歴史地名大系 「歌田村」の解説

歌田村
うただむら

[現在地名]山梨市歌田

一丁田中いつちようたなか村の東、下石森しもいしもり村の南にあり、笛吹川の支流川とおも川とに挟まれた平地に立地する。村内を甲州道中が通る。中世宇多田うただ郷とよばれた。慶長古高帳に村名がみえ、高五三二石余、幕府領。ほかに大明神(現金桜神社)領二石余。貞享二年采地簿(臆乗鈔)では旗本大窪(大久保)領が設定されており、貞享―元禄期(一六八四―一七〇四)の川東領分並給人付帳(渡辺一若家文書)では大久保領二一石余・幕府領五〇三石余。元禄郷帳でも同じ。宝永二年(一七〇五)甲府藩領となり、以後の領主変遷小原東分こばらひがしぶん村に同じ。正徳四年(一七一四)検地で二六石余の新検出高があり、高五六〇石余、反別は田二五町四反余・畑五町九反余・屋敷四町四反余(明治三年「村明細帳」山梨県史資料叢書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android