宇津尾村(読み)うつおむら

日本歴史地名大系 「宇津尾村」の解説

宇津尾村
うつおむら

[現在地名]今庄町宇津尾

日野川と支流桝谷ますたに川との合流点近くにある谷間の村。東南は橋立はしたて村、西北八飯やい村。当村八幡神社の鰐口に「三尾河内宇津尾村、康暦二年」と刻されている(「今庄町誌」所引)。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では三尾川内みおのこうちに含まれていた。正保郷帳に村名がみえ、田方二二一石余・畠方五六石余。福井藩領。宝永五年(一七〇八)正月、洪水に見舞われたが、篠田家文書(「今庄町誌」所収)に「向山抜出御百生四軒雑家五軒土下に罷成死人など多く御座候、依村下の惣水懸り候御高四拾石余り永荒に罷成」とある。


宇津尾村
うつおむら

[現在地名]白川町白山しらやま 宇津尾うとおむら

はく(八六二・二メートル)の西麓、四方を山に囲まれた山間地帯に位置する。「うとお」とも発音する。南は広野ひろの村、北西油井ゆい村。慶長郷帳では「うたり村」とあり、高七三石余。元和二年(一六一六)の村高領知改帳では「うたう村」とあり、遠山友政(苗木藩)領で、以後幕末まで同藩領。正保郷帳では田方四八石余・畑方二四石余。明治五年(一八七二)の村明細帳では田高八四石余・畑高五五石余・屋敷高三石余、さらに新田高二七石余がある。


宇津尾村
うつおむら

[現在地名]上越市宇津尾

下正善寺しもしようぜんじ村の南西に位置。正保国絵図によると高三七石余。天和三年郷帳では高六三石一斗余、うち山高三斗四升六合・漆高八升五合。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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