宇良田唯子(読み)ウラタ タダコ

20世紀日本人名事典 「宇良田唯子」の解説

宇良田 唯子
ウラタ タダコ

明治〜昭和期の眼科医 同仁病院院長。



生年
明治6年5月3日(1873年)

没年
昭和10(1935)年6月18日

出生地
熊本県天草郡牛深(現・牛深市)

学歴〔年〕
北里研究所

経歴
医者を志し、18歳の時に結婚を嫌って家を出る。薬舗で働きながら医学・薬学を独学し、店主の援助を受けて北里研究所に入所。明治25年には20歳で医術開業試験に合格した。以後、眼科医として東京市内や地方の病院に勤務し、36年には眼科学研究のためドイツのベルリンに留学。38年に帰国した後、東京・神田に宇良田眼科医院を開業、洋行帰りの女医ということもあってその診療を受ける者があとを絶たなかった。恩師北里柴三郎媒酌で医師の中村常三郎と結婚。次いで夫婦で満州の奉天に移って同仁病院を開き、その院長として病院の経営・管理に当たった。昭和9年夫と死別。さらに満州事変のために病院は閉鎖を余儀なくされ、郷里熊本県牛深に戻った。10年再び東京で開業するが、間もなく没した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宇良田唯子」の解説

宇良田唯子 うらた-ただこ

1873-1935 明治-昭和時代前期の眼科医。
明治6年5月3日生まれ。北里研究所にはいり,20歳で医術開業試験に合格。ドイツ留学後,明治38年東京で宇良田眼科病院をひらく。中村常三郎と結婚,夫と満州(中国東北部)にわたり同仁病院をひらく。昭和9年故郷の熊本県牛深にかえり開業。10年東京で開業したが,同年6月18日死去。63歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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