安井小太郎(読み)ヤスイ コタロウ

20世紀日本人名事典 「安井小太郎」の解説

安井 小太郎
ヤスイ コタロウ

明治〜昭和期の漢学者 大東文化学院教授



生年
安政5年6月19日(1858年)

没年
昭和13(1938)年4月2日

出身地
日向国(宮崎県)

本名
安井 朝康

旧姓(旧名)
中村

別名
号=朴堂

学歴〔年〕
東京大学

経歴
文久2年(1862年)父が尊皇攘夷運動で江戸・伝馬町にて獄死後母方祖父の儒者・安井息軒に引き取られ、5歳でその郷里・日向に移り住んだ。息軒の家を継ぎ、安井姓を名乗る。12歳で藩校・振徳堂に入り、明治4年14歳で江戸に出て祖父の家に移り、儒学を学ぶ。9年息軒の死後、下谷の双桂精舎・島田篁村に師事し経学を修め、11年京都の草場船山に招かれて草場塾の塾頭となる。のち再び双桂精舎に帰り、また二松学舎に学んだ後、15年東京大学に入る。学習院、北京大学堂、一高、文理科大学などで教鞭を執り、晩年は大東文化学院教授を務めた。著書に「論語講義」「日本儒学史」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安井小太郎」の解説

安井小太郎 やすい-こたろう

1858-1938 明治-昭和時代前期の漢学者。
安政5年6月19日生まれ。中村貞太郎の子。父が尊攘(そんじょう)運動で獄死後,母方の祖父安井息軒(そっけん)にひきとられた。島田篁村(こうそん),草場船山にまなんだのち,明治15年東京大学にはいる。学習院,一高,大東文化学院などの教授を歴任。昭和13年4月2日死去。81歳。江戸出身。名は朝康。号は朴堂。著作に「日本儒学史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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