安倍源基(読み)アベ ゲンキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「安倍源基」の解説

安倍 源基
アベ ゲンキ


肩書
元・内相,元・警視総監

生年月日
明治27年2月14日

出生地
山口県

学歴
東京帝大法学部法律学科〔大正9年〕卒

経歴
大正9年内務省に入り、沖縄県地方課長、高知県商工水産課長、愛知県特高課長を経て、15年内務省の遣外事務官として上海に勤務、中国共産党と中国国民党、アジアの共産主義運動を研究。帰国後の7年、山形県労務部長から警視庁特別高等警察の初代部長に就任。全国の特高警察網を整備。東京市電スト、赤色ギャング事件、神兵隊事件、共産党スパイ査問事件などで“赤狩り安倍”の名をあげ、11年銀杯を下賜された。12年内務省保安課長から警保局長、次いで警視総監となり、ダンスホールの禁止、学生狩りなどを行った。14年に一時辞任、15年再び警視総監。16年企画院次長、20年鈴木貫太郎内閣の内相。敗戦後、A級戦犯として逮捕され、27年4月追放解除。31年の参院選落選。33年木村篤太郎らと新右翼団体「新日本協議会」を結成、代表理事を務めた。著書に「昭和動乱の真相」「憂国直言」「ひとすじの道」「巣鴨日記」がある。

趣味
読書 釣り

没年月日
平成1年10月6日

家族
長男=安倍 基雄(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「安倍源基」の解説

安倍 源基
アベ ゲンキ

昭和期の内務官僚 元・内相;元・警視総監。



生年
明治27(1894)年2月14日

没年
平成1(1989)年10月6日

出生地
山口県

学歴〔年〕
東京帝大法学部法律学科〔大正9年〕卒

経歴
大正9年内務省に入り、沖縄県地方課長、高知県商工水産課長、愛知県特高課長を経て、15年内務省の遣外事務官として上海に勤務、中国共産党と中国国民党、アジアの共産主義運動を研究。帰国後の7年、山形県労務部長から警視庁特別高等警察の初代部長に就任。全国の特高警察網を整備。東京市電スト、赤色ギャング事件、神兵隊事件、共産党スパイ査問事件などで“赤狩り安倍”の名をあげ、11年銀杯を下賜された。12年内務省保安課長から警保局長、次いで警視総監となり、ダンスホールの禁止、学生狩りなどを行った。14年に一時辞任、15年再び警視総監。16年企画院次長、20年鈴木貫太郎内閣の内相。敗戦後、A級戦犯として逮捕され、27年4月追放解除。31年の参院選に落選。33年木村篤太郎らと新右翼団体「新日本協議会」を結成、代表理事を務めた。著書に「昭和動乱の真相」「憂国直言」「ひとすじの道」「巣鴨日記」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「安倍源基」の解説

安倍源基 あべ-げんき

1894-1989 昭和時代官僚
明治27年2月14日生まれ。内務省にはいり,昭和7年警視庁特別高等警察部長となり,共産党を弾圧。第1次近衛内閣で警保局長,警視総監,鈴木貫太郎内閣の内相などをつとめた。戦後A級戦犯容疑で勾留された。33年新日本協議会代表理事。平成元年10月6日死去。95歳。山口県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「安倍源基」の解説

安倍 源基 (あべ げんき)

生年月日:1894年2月14日
昭和時代の官僚。内相;警視総監
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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