安城陣屋跡(読み)あんじようじんやあと

日本歴史地名大系 「安城陣屋跡」の解説

安城陣屋跡
あんじようじんやあと

[現在地名]安城市安城町 宮前

社口堂しやぐちどうの東、宮前みやまえにあった旗本久永氏の陣屋跡。現在は宅地化している。久永氏は、元禄一二年(一六九九)安城村、米津よねづ(現西尾市)加納かのう(現豊田市)を支配した。久永氏四代重知の三男重章の分家によって始まり、重章の子信豊は同一一年三月、父の遺領である武蔵国足立あだち郡・多摩たま郡、安房国長狭ながさ郡・朝夷あさひな郡の四郡四千石の地を、三河碧海へきかい加茂かも両郡に移され、三河の領村のほぼ中央にあたる安城村に陣屋を設けた。

陣屋の領村には、村方三役のほかに割元があり、陣屋役人と密接に結び、陣屋の財政に深くかかわっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む