安堂村(読み)あんどうむら

日本歴史地名大系 「安堂村」の解説

安堂村
あんどうむら

[現在地名]柏原市安堂町・安堂

太平寺たいへいじ村の南、ひがし山麓に位置する。当地辺は低い山地となっている。村の西、大和川近くを東高野街道が通る。大和川の付替え後、街道はここで同川を越え、川南船橋ふなはし(現藤井寺市)へ通ずる。もと船渡しであった。明治七年(一八七四)には西方へ道が付替えられ、柏原村のところで大和川を渡る新大和しんやまと橋が架けられた。なお古代には、現藤井寺市のおかから東進した大津道が同市の国府こう惣社そうじや船橋を経て、大和川・石川合流点辺りで渡河、当地で竜田たつた道に合していたとする説がある。「万葉集」巻九の一首の題詞にみえる河内大橋、「続日本後紀」承和八年(八四一)三月二日条にみえる恵賀えが川借橋を、この渡河点に架かっていた橋とみる説があるが、丹比たじひ道に架かっていた可能性もあり決めがたい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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