柏原市(読み)カシワラシ

デジタル大辞泉 「柏原市」の意味・読み・例文・類語

かしわら‐し〔かしはら‐〕【柏原市】

柏原

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日本歴史地名大系 「柏原市」の解説

柏原市
かしわらし

面積:二四・七七平方キロ

生駒山地の西麓から西方の平野部にかけて立地。生駒山地は、柏原市域では高い所でも標高三〇〇メートルぐらいの低い山となっており、当地域からはひがし山とよんでいる。東山の呼称は古く、平安時代の大江佐国の漢詩にみえる(→高井田廃寺跡。北は八尾やお市、西は藤井寺市、南は羽曳野はびきの市、東は北から奈良県生駒郡三郷さんごう町、同県北葛城きたかつらぎ王子おうじ町・香芝かしば町。大和川が市の中央を流れる。亀瀬かめのせの峡谷で山地を横断した大和川は、大阪平野に出た所で南の金剛山麓から流れ出た石川と合流して北西へ流れる。柏原市は大和川が平野部へ出る所、および石川と合流する所に立地する。大和川に架かる新大和しんやまと橋・国豊くにとよ橋に立って東の上流をみると、山と川が美しい景観を織りなす。頼山陽はこの景を河内嵐山かわちらんざんといった。当地は大和から難波への出入口にあたる。大和川の舟運を使っても、また陸路では亀瀬峠越竜田たつた道を使っても、大和への入口という重要な地点を占め、古代以来の交通の要地である。

市名となった柏原は、当地の発展の中核となってきた旧志紀郡柏原村、それに続く柏原町からきている。柏原の地名の初見は、今のところ近世の柏原村である。ただ古代の人名に、河内国渋川郡の人柏原広山がみえるが(「日本書紀」持統天皇三年七月条)、柏原地域との関連は不明。「新撰姓氏録」(左京神別)に物部氏系の柏原連がみえる。また大和国葛上郡に柏原郷があった(現御所市に比定される)。大和と河内で山を挟んで同じ地名の多いことを考えると、河内の柏原も古い地名と考えてよい。

〔原始〕

市域は先土器時代からの歴史があるが、そのなかでも弥生時代の高尾たかお(大県・平野の東の山)の周辺が注目される。この山頂は山麓にある鐸比古鐸比売ぬでひこぬでひめ神社(式内社)の旧地と伝え、巨岩のある所が祭祀遺跡となっている。北側には高地性集落遺跡があり、南側の谷からは多鈕細文鏡が出土している。古墳時代になると国分の松岳山こくぶのまつおかやま古墳、玉手山たまてやま丘陵上の玉手山古墳群、安堂あんどう山の安堂古墳群など前期古墳が、大和川の平野への出口にあたる丘陵上に集中して営まれる。中期になると石川を西に渡った所に天皇陵に治定される古墳を含めた古市ふるいち古墳群(羽曳野市・藤井寺市)となる。前期古墳から中期古墳へ被葬された氏族が続くかどうかが大きな問題をはらんでいる。大和王権の発展とも考え合せ、当市の歴史を考える重要な鍵となる。後期になると高井田の平尾山たかいだのひらおやま古墳群、それに高井田・安福寺あんぷくじの横穴古墳群などが営まれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「柏原市」の意味・わかりやすい解説

柏原〔市〕
かしわら

大阪府東部,生駒山地南西麓の市。 1956年柏原町と国分町が合体し,1958年市制。中心市街地の柏原は大和川大阪平野に流出するところに谷口集落として発達。近世には大和川舟運の終着河港として栄え,河内木綿集散地としても知られた。伝統工業の繊維,染色,貝細工のほか,第2次世界大戦前後からベアリング,プラスチック化学薬品,機械器具などの近代工場が進出。宅地開発も進み,大阪の衛星都市の一つをなす。北部の丘陵地にある堅下は明治時代から昭和時代初期にかけてブドウの産地として発展した。田辺廃寺跡高井田横穴群,松岳山古墳 (以上,国指定史跡) ,三田家住宅 (国指定重要文化財) ,安福寺などがある。市域の南部は金剛生駒紀泉国定公園に属する。 JR関西本線 (大和路線) ,近畿日本鉄道大阪線,道明寺線が通る。面積 25.33km2。人口 6万8775(2020)。

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