日本歴史地名大系 「安子島村」の解説
安子島村
あこがしまむら
応永一一年(一四〇四)七月の仙道諸家一揆傘連判(有造館本結城古文書写)に「阿子島 藤原祐善」とみえ、篠川公方足利満直のもとに結集した安積伊東氏一族とみられる。永享一一年(一四三九)頃のものと推定される安積三郷田地注文(相殿八幡文書)に北郷のうちとして「女子嶋 一丁一段」とみえる。交通の要衝であるため頻繁に攻防が行われた。「塔寺八幡宮長帳」の文明二年(一四七〇)条に「あくか嶋御陣のやく初百内二百内畢」とみえ、「会津旧事雑考」同年条にも「安子島戦」とみえ、会津の蘆名盛高と安子島城主伊東氏祐の抗争があった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報