日本歴史地名大系 「安岡村」の解説 安岡村やすおかむら 山口県:下関市安岡村[現在地名]下関市大字安岡現下関市の西部にあたり、東は蒲生野(かもうの)、北は福江(ふくえ)・横野(よこの)、南は富任(とみとう)の各村と接し、西は響(ひびき)灘に面する。村のほぼ中央を友田(ともだ)川が西流する。長府藩領で西豊浦郡前支配に属する。康暦元年(一三七九)一一月一六日付大内義弘寄進状写(長門一宮住吉神社文書)に「奉寄進長門国一宮 長門国安岡名并吉見郷内坪付別紙在之事」とみえる。地名の由来として、神功皇后三韓出兵の時、この地の迫山(さこやま)の丘で休憩し「やすらが丘」とよばれたのが転訛したと伝えられる。慶長一五年(一六一〇)の検地帳に「安岡村」とみえ、横野村と合石で記される。 安岡村やすおかむら 京都府:舞鶴市志楽地区安岡村[現在地名]舞鶴市字安岡若狭街道と朝来(あせく)谷に至る道との分岐点にあり、南に志楽川が西流し、志楽川の北側斜面に位置しているため夏季用水に欠乏することがあった。集落は山麓縁辺に沿って点在している。中世は志楽庄春日部(かすかべ)村の地で、地名は、応永二七年(一四二〇)一〇月二〇日付の道教田畠等売券(梅垣西浦文書)に「安岡の右近の方」、あるいは文明一二年(一四八〇)一二月二三日付の掃部田地売券(同文書)に「上安岡掃部」と出るのが早い。弘治三年(一五五七)に伊予国の浜井民部が、安岡村に山城を築き三〇〇石を領したという(登尾八幡覚書)。 安岡村やすおかむら 愛媛県:北条市安岡村[現在地名]北条市安岡粟井(あわい)川の下流南岸にある農村。本谷(ほんだに)・磯河内(いそこうち)・鴨之池(かものいけ)・和田(わだ)・河原(かわら)・久保(くぼ)・常竹(つねたけ)の村々に囲まれる。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の風早(かざはや)郡の項に「安岡村」とみえ、村高は六〇石六斗七升五合、うち田方五一石三升四合、畑方九石六斗四升一合とある。文明一一年(一四七九)河野教通が二神四郎左衛門尉家直に与えた安堵状には「安岡名」と記される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by