安慶軍械所(読み)あんけいぐんかいしょ(英語表記)An-qing jun-xie-suo; An-ch`ing chün-hsieh-so

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安慶軍械所」の意味・わかりやすい解説

安慶軍械所
あんけいぐんかいしょ
An-qing jun-xie-suo; An-ch`ing chün-hsieh-so

中国,咸豊 11 (1861) 年曾国藩により安徽省安慶に設立された軍需工場アロー戦争の際,英仏軍の洋式武器の威力を見せつけられた曾国藩は,西洋諸国に対抗し,かつ太平天国軍を鎮圧するため早急に武器弾薬の補給を迫られ,軍需工場建設に着手した。しかし西欧人技師を雇用せず,工場の運営および技術をすべて中国人にゆだねたため,製造された武器類は粗悪なものも多く実戦には役立たなかったといわれる。

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世界大百科事典(旧版)内の安慶軍械所の言及

【安慶】より

…なお,金陵(南京)と湖広(湖南,湖北)とを結ぶ交通の要衝である安慶は,金陵によった太平天国軍が清朝の攻撃に対し死守した地でもある。また太平天国の反乱のさなか,曾国藩はこの地に中国で最初の軍需工場,安慶軍械所を建設した。【秋山 元秀】。…

【官営工業】より

…太平天国を鎮圧した勢いを背景に,両江総督曾国藩,江蘇巡撫李鴻章,浙江巡撫左宗棠などの漢人官僚が台頭し,みずからの実力を蓄えるために,各地に軍需工場を設立した。1863年,曾国藩は安慶軍械所を設立し,西洋人技師を雇用せずに火器・小型汽船の製造を開始した。一方,李鴻章は上海製(せいほう)局,蘇州製局を設立し,65年これらを合して上海に江南製造局を開き,外国人技師を招致して,武器・弾薬・汽船を製造した。…

【曾国藩】より

…これは満州朝廷内部における漢人勢力の台頭にとって画期的なことがらだったが,太平軍に大敗を喫するたびに自殺を考えたほど小心なところのあった彼は,むしろ保身のために湘軍を解散し,軍権を手放した。また,彼は61年,安慶に兵器工場(安慶軍械所)を設立するなど洋務運動の先駆者でもあったが,軍権,洋務とも彼の輩下の李鴻章が主として継承するところとなった。曾国藩はなによりもまず,いわゆる同治中興の功臣として有名であるが,儒学の徒として名教の維持に努め,桐城派の流れをひく文章は一世をふうびして,その弟子郭崇燾(かくすうとう),薛福成(せつふくせい)らとともに湘郷派とも称される。…

※「安慶軍械所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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