日本歴史地名大系 「安芸城跡」の解説
安芸城跡
あきじようあと
安芸平野のほぼ中央にある標高約六〇メートルの小山(城山)上にあり、東側を安芸川が流れる。山上から平野全体が見渡せる。延慶元年(一三〇八)二月の城普請定書(安芸文書)に「安芸両川十四名百姓中」として、安芸川・
安芸氏は壬申の乱で配流された蘇我赤兄の子孫(「安芸系図」安芸文書)とも、「続日本紀」神護景雲元年(七六七)六月二二日条にいう、西大寺に牛六〇頭と稲二万束を献じた「土左国安芸郡少領外従六位下凡直伊賀麻呂」の後裔ともいう。安芸氏の名は「平家物語」巻一一(能登殿最後)に「ここに土佐国の住人安芸郷を知行しける安芸の大領実康が子に、安芸太郎実光とて、三十人が力もつたる大ぢからの剛の物あり」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報