朝日日本歴史人物事典 「安藤抱琴」の解説
安藤抱琴
生年:承応3(1654)
江戸中期の国学者,有職故実家。名は為実。通称大学など。素軒とも号し,稲津左兵衛尉とも称す。伏見宮家の家士安藤定為(号朴翁)の長男として丹波国桑田郡尾口村(亀岡市)に生まれた。母亀子は歌人として有名であった。父の跡をうけて伏見宮に仕えた。多芸多能で撃剣,刺槍,拳法,琴笛などに習熟していた。武道を四辻季輔に,琴笛を山井景則に,和歌を中院通茂らに学んだが,最も故実の学を好んだ。その故をもって貞享3(1686)年33歳のとき,弟の為章(号年山)と共に水戸藩主徳川光圀に招かれ,彰考館の史局に参与した。のちその総裁に抜擢されて『扶桑拾葉集』『礼儀類典』の編纂に当たった。『礼儀類典』は朝廷に献上され,禁裏の秘本を借りる便宜を与えられた。<著作>『続有職問答』『抱琴集』
(白石良夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報