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李参平 リサンペイ

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デジタル大辞泉の解説

り‐さんぺい【李参平】

[?~1655]江戸初期の陶工。文禄慶長の役の際、肥前鍋島家の家臣に従って朝鮮から渡来、帰化して金ヶ江三兵衛と称した。日本で初めて磁器の焼成に成功し、有田焼の創始者とされる。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

李参平 り-さんぺい

?-1655 朝鮮王朝の陶工。
忠清道金江の人。有田磁器の開祖。文禄(ぶんろく)・慶長の役の際,鍋島直茂の家臣多久安順(やすしげ)につれてこられる。元和(げんな)2年(1616)肥前松浦郡有田(佐賀県)で白磁鉱を発見し,白川天狗谷で開窯したという。これを契機に有田に陶業がおこった。明暦元年8月死去。日本名は金ケ江三兵衛

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朝日日本歴史人物事典の解説

李参平

没年:明暦1.8(1655)
生年:生年不詳
朝鮮王朝(李朝)の陶工,肥前有田磁器の開祖とされている。和名金ケ江三兵衛。承応2(1653)年に三兵衛本人が多久家に提出した文書「皿山金ケ江三部高麗万罷越候書立」『多久家文書』によれば,「高麗」から渡来し,数年は「長門守」のもとで仕え,元和2(1616)年に有田皿山に移住し,三兵衛自身は10人を雇い,120人の陶工を統率していた。文化4(1807)年に三兵衛の子孫金ケ江惣太夫が提出した「乍恐某先祖之由緒を以御訴訟申上口上覚」『金ケ江家文書』などには,三兵衛の事跡がより詳しく述べられ,名は参平,生まれは朝鮮忠清道金江で,慶長の役の際に鍋島直茂の道案内を務め,陶工を業としたところから日本に渡来し(萩焼の祖李勺光にも同様の伝えがある),鍋島直茂の家臣多久安順に預けられ,白川天狗谷で開窯したとされる。文化6年,訴訟に関連して多久家が佐賀本藩に提出した金ケ江清五兵衛の来歴書「口達覚」『多久家文書』には,三兵衛の本姓は李氏であったとし,出身地金ケ江島にちなんで金ケ江三兵衛と名乗らせ,焼物作りを命じたところ,有田郷で陶石を発見,上白川で開窯,これを契機に有田の陶業が佐賀藩の「御国産」となったとし,「三兵衛勲功を以,釜焼之開基」とする。有田磁器の誕生には,参平のほかにもいくつかの伝えがあり,窯跡の考古学的調査から,参平が興したといわれる天狗谷窯も最古ではないが,磁器焼成開始期の朝鮮人陶工集団のなかで大きな役割を果たした人物といえよう。<参考文献>『有田町史陶業編Ⅰ』

(伊藤嘉章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

りさんぺい【李参平】

伊万里焼の創始者といわれる朝鮮人陶工。日本名を金ヶ江三兵衛といった。文禄・慶長の役(1592‐98)で,朝鮮へ出兵した佐賀藩主鍋島直茂が〈日本の宝〉にしようと連れ帰った陶工の一人という。鍋島藩家老の多久氏に預けられていたが,許しを得て泉山に磁鉱を発見し,白川天狗谷で磁器の焼造を始めたと説かれている。金ヶ江三兵衛という人物に関する古記録がいくつかあるが,なかでも《肥陽旧章録》に収められている三兵衛の〈覚〉と題する文書によって,有田で磁器が焼き始められたのは1616年(元和2)のことと考えられていた。

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大辞林 第三版の解説

りさんぺい【李参平】

?~1655) 江戸初期の陶工。文禄・慶長の役の際に囚われて渡来し、金ヶ江三兵衛と称した。肥前有田泉山で陶石を発見、日本で初めて磁器の製作に成功。伊万里焼の祖とされる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李参平
りさんぺい

生没年不詳。江戸初期の陶工。佐賀県西松浦(にしまつうら)郡有田(ありた)町の龍泉寺には明暦(めいれき)元年(1655)の条に「月窓浄心上田川三兵衛」なる戒名があり、これが李参平の没年とも考えられている。朝鮮半島李朝時代の忠清南道金江の出身。文禄(ぶんろく)・慶長(けいちょう)の役を契機に帰化した陶工の1人で、日本名は金ヶ江(かねがえ)三兵衛。肥前国(佐賀県)鍋島(なべしま)藩の祖鍋島直茂(なおしげ)に仕える多久安順(たくあんじゅん)が連れて帰った。初め小城(おぎ)郡多久(現多久市)に窯を築き、1616年(元和2)に有田町泉山に白磁鉱を発見し、有田町上白川天狗谷の地で日本初の白磁創製に成功したと伝えられる。有田白磁窯、すなわち伊万里(いまり)焼の磁祖として尊崇され、陶祖神社の祭神として祀(まつ)られている。[矢部良明]

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世界大百科事典内の李参平の言及

【三平汁】より

…松前藩の賄方(まかないかた)斎藤三平なる人物の考案になるとされるが,船場(せんば)汁など同工の料理は全国的に分布しており,この説は首肯しがたい。むしろ,有田焼の祖李参平(りさんぺい)の名をとって深めの磁器の皿を三平皿と呼びならわし,それに盛ったため,この名があるものと考えられる。【鈴木 晋一】。…

【染付】より

…また安南でも元末・明初の青花磁器の影響をうけ,15世紀初めには始められたが,17世紀ころに作られた安南絞手(しぼりで),蜻蛉手(とんぼで)と呼ばれる染付は,日本の茶人のあいだでことに珍重された。日本で染付が作られるようになるのは,朝鮮半島からの帰化陶工李参平によって有田泉山で磁石が発見され,1616年(元和2)有田上白川(かみしらかわ)天狗谷窯で焼成されたのがはじめとされてきた。しかし近年天狗谷古窯址の発掘調査によって,有田における磁器焼成は慶長年間(1596‐1615)から始められていたものと推定されている。…

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