日本歴史地名大系 「安謝村」の解説 安謝村あじやむら 沖縄県:那覇市旧島尻郡地区安謝村[現在地名]那覇市安謝(あじや)・安謝一―二丁目・銘苅(めかる)・銘苅一―三丁目・天久(あめく)一丁目・おもろまち三―四丁目アジャと発音する。天久(あみく)村の東に位置し、小字安謝原(あじやばる)に集落が形成されていた。北端を安謝(あじや)川が西流し、河口は安謝湊とよばれた。近世中期以後は真和志(まーじ)間切所属。絵図郷村帳の西原(にしばる)間切に「あじや村」とみえる。琉球国高究帳には記載がないが、同間切に村名欠落の一村があり、両帳の村名記載順からみて当村のことと推定される。高頭二一四石余、うち田一七四石余(うち二六石余は永代荒地)・畠四〇石余。乾隆二年帳に「あめく村」(天久村)・「めかる村」(銘苅村)・「た田村」(多和田村)などとともに「あじや村」が西原間切から真和志間切へ移管されたことが記載されており、康熙九年(一六七〇)の年号と「真和志間切安謝村」の銘文がある厨子甕(県立博物館蔵)が残されていることから、一六七〇年頃までに真和志間切に移されたと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by