日本歴史地名大系 「安賀里村」の解説
安賀里村
あがりむら
[現在地名]上中町安賀里
合戦
之処に手負出来、打負て在所を焼払はれ得
替之
了」とみえ、また同四年の記事に「同五月に国一揆、人々安賀鳥羽三宅へ打入之間」とあり、応安の国一揆のとき戦場となっている。
弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)に「百九十五文 あかり村」とみえ、正保郷帳によれば田方三八八石余・畠方四六石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報