安賀里村(読み)あがりむら

日本歴史地名大系 「安賀里村」の解説

安賀里村
あがりむら

[現在地名]上中町安賀里

脇袋わきぶくろ村の北方に位置し、丹後街道貫通鳥羽とば川の支流安賀里川が西流する。古代安賀あか(和名抄)の地とされ、中世安賀庄。建久七年(一一九六)六月日付若狭国御家人注進案(東寺百合文書)に載る安賀兵衛大夫時景の本願地と考えられる。「若狭国守護職次第」に「応安二年正月十五日於安賀庄金輪院楯つくの間、守護代押寄及合戦之処に手負出来、打負て在所を焼払はれ得替之了」とみえ、また同四年の記事に「同五月に国一揆、人々安賀鳥羽三宅へ打入之間」とあり、応安の国一揆のとき戦場となっている。

弘治二年(一五五六)六月の明通寺鐘鋳勧進算用状(林屋辰三郎氏蔵)に「百九十五文 あかり村」とみえ、正保郷帳によれば田方三八八石余・畠方四六石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android