日本歴史地名大系 「安養寺岳城跡」の解説
安養寺岳城跡
あんようじだけじようあと
川内川左岸に接し、独立した標高八〇メートルを最高所とするシラス丘陵とその周囲にあり、天正一五年(一五八七)豊臣秀吉勢の島津攻めの際、)は同月二三日肥後人吉経由で平佐城に戻り籠城した(「山口伊賀守覚書」旧記雑録)。秀吉は肥後でこれを知ると先鋒を海路薩摩に向かわせ、二五日自身は肥後
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報