安養寺岳城跡(読み)あんようじだけじようあと

日本歴史地名大系 「安養寺岳城跡」の解説

安養寺岳城跡
あんようじだけじようあと

[現在地名]川内市宮里町

川内川左岸に接し、独立した標高八〇メートルを最高所とするシラス丘陵とその周囲にあり、天正一五年(一五八七)豊臣秀吉勢の島津攻めの際、平佐ひらさ城に対して築かれた陣城。「三国名勝図会」は安養寺営とし図を載せ、鉢巻はちまき城・安養寺城ともいう。天正一五年四月の島津義久らの降伏後、島津氏方の桂神祇坊忠詮(忠は同月二三日肥後人吉経由で平佐城に戻り籠城した(「山口伊賀守覚書」旧記雑録)。秀吉は肥後でこれを知ると先鋒を海路薩摩に向かわせ、二五日自身は肥後佐敷さしき(現熊本県芦北町)に進み、先鋒を川内川河口に進めた(九州御動座記)。先鋒の軍勢は数万で大将九鬼嘉隆脇坂安治加藤嘉明・小西行長(四月二七日「九鬼嘉隆外三名連署禁制」旧記雑録)。平佐城に対する陣城として、河口に近く平佐城を東南東五キロに見る猪子いのこ(現高江町)、同城を東南東四・五キロに見るねこ(現同上)、同城を東南東三・五キロに見る安養寺岳に各々城を築き、平佐城攻めの前線基地とした(三国名勝図会)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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