宋秉畯(読み)ソン ビョンジュン

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宋秉畯 ソン-ビョンジュン

1858-1925 朝鮮の政治家。
哲宗9年生まれ。朝鮮王朝末期,閔妃(ミンビ)暗殺事件後日本に亡命日露戦争がはじまると帰国し,親日団体の一進会を組織。1907年李完用(イ-ワンヨン)内閣の大臣となる。1909年李容九(イ-ヨング)と「韓日合邦」の声明書をだすなど日本の韓国併合に協力した。併合後,日本の子爵,のち伯爵。1925年1月30日死去。68歳。

宋秉畯 そう-へいしゅん

ソン-ビョンジュン

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世界大百科事典 第2版の解説

そうへいしゅん【宋秉畯 Song Pyŏng‐jun】

1858‐1925
朝鮮の大韓帝国期・植民地期の親日派。親日団体一進会を組織して日韓併合に協力した中心人物。金玉均暗殺の命を帯びて渡日したが,目的を果たさず帰国して危険視され,日本へ亡命。日露戦争のときに日本軍通訳としてもどり,日本の朝鮮侵略に加担した。1907年には農商工部大臣,内部大臣となって対日協力ぶりを発揮した。その〈功績〉が認められて併合後伯爵位を受けた。親日派の草分け的存在である。【馬渕 貞利】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

宋秉
そうへいしゅん / ソンビョンジュン
(1858―1925)

朝鮮、李朝(りちょう)末期の親日政治家。咸鏡(かんきょう)南道長津出身。権門閔泳煥(びんえいかん)の知遇を得て武科に及第。甲申政変後、金玉均暗殺の命を受けて来日したが翻意し、政府の要注意人物と目され、日清(にっしん)戦争後日本に亡命した。野田平治郎の名で10年間滞日。日露戦争の際帰国し、一進会を組織して対日協力、1907年李完用内閣に入閣した。1909年(明治42)渡日、韓国併合を率先主張し、併合後、子爵、のち伯爵となった。[中塚 明]

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世界大百科事典内の宋秉畯の言及

【一進会】より

…日露戦争中の1904年8月,日本軍通訳をつとめた宋秉畯(へいしゆん)が組織した朝鮮の親日御用団体。最初は開化政策を標榜して尹始炳ら独立協会系の人物を取りこんだが,同年末組織拡大の必要から李容九の率いる東学系結社進歩会を吸収した。…

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