日本歴史地名大系 「宍戸城跡」の解説 宍戸城跡ししどじようあと 茨城県:西茨城郡友部町平町村宍戸城跡[現在地名]友部町平町・大田町山尾(やまお)城ともいい、鎌倉初期に八田知家の四男宍戸家政が築いた城で涸沼(ひぬま)川左岸の平坦地に広がっていたと思われる。家政は将軍源頼家に仕えて左衛門尉に任じられ、建保元年(一二一三)幕府に反抗した和田義盛の乱の際に琵琶橋(びわばし)(現神奈川県鎌倉市)の戦で戦死する(尊卑分脈)。家政の子家周が宍戸家を継ぎ、以後宍戸城主は家時・知時・朝真・持家・持朝・家朝・家俊・持里・政里・政家・義綱・義長と継承されたが、文禄元年(一五九二)佐竹氏との戦いに敗れ、真壁(まかべ)郡海老(えび)ヶ島(しま)城(現明野町)に移った(宍戸系図)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by