平町村(読み)たいらまちむら

日本歴史地名大系 「平町村」の解説

平町村
たいらまちむら

[現在地名]友部町平町

涸沼ひぬま川左岸にあり、東は友部村、北は大田町おおたまち村。中世は常陸国守護八田知家の四男小田家政が当地に城を築き宍戸氏を名乗って、以後一六代にわたって支配し、所領を宍戸ししど庄と私称したが、当村は庄の中心となったと思われる(新編常陸国誌)

文禄元年(一五九二)宍戸氏は佐竹氏に敗れて真壁まかべ海老えびしま(現明野町)に移り、当地は佐竹氏領となるが、同氏は慶長七年(一六〇二)秋田に移封、代わって秋田実季が五万石で入部した。同年の御知行之覚(秋田家文書)に「完戸平」として、一一六三・二二石とある。正保二年(一六四五)の同氏三春みはる(現福島県田村郡)移封後は天領となり、「寛文朱印留」には三光さんこう院領・竜穏りゆうおん院領などに「平村之内」とある。

平町村
たいらまちむら

[現在地名]五所川原市戸沢とざわ

大釈迦だいしやか丘陵西端に位置し、東は戸沢村、西は川代田かわしろた村、北は飯詰いいづめ村に接する。

寛文四年(一六六四)の高辻帳に平町村四五六石とあり、貞享元年(一六八四)の郷村帳も新田として同高である。同四年の検地帳には田方がなく、畑屋敷合せて二町五反七畝一九歩、村高一二・二九四石とある。同年平町地子新田を平町村に改めたという(長橋村誌)。元禄三年(一六九〇)には飯詰組に属し、村位は中で、家数一九、うち庄屋一・水呑一八であった(平山日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android