朝日日本歴史人物事典 「宍戸左馬之介」の解説
宍戸左馬之介
生年:文化1.8.13(1804.9.16)
幕末の長州(萩)藩の藩士,名は真澂,通称,九郎兵衛,のち左馬之助。林家に生まれ,大組の宍戸家(120石余)の養子となる。嘉永3(1850)年,前大津代官となり,以後,京都藩邸都合人役,藩の所帯方役と財務の実務役を歴任した。家老益田右衛門介の手元役として,政務にも当たり,文久3(1863)年8月18日の政変で,長州藩が京都を追われたあと,大坂藩邸留守居役に任じ,翌年の禁門の変で大坂天王山に陣し,長州藩の撤退に当たった。帰国後,いわゆる俗論派政府によって野山獄に投じられ,長州藩四参謀として獄中で斬首に処された。
(井上勝生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報