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宍戸左馬之介 ししどさまのすけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

宍戸左馬之介
ししどさまのすけ

[生]文化1(1804)
[没]文久4(1864).11.12. 長門,野山獄
幕末の長州藩勤王家。号,橘廂。文久3 (1863) 年,禁門の変で挙兵した藩兵を鎮撫する使命を果しえず斬罪に処せられた。 (→長州征伐 )

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宍戸左馬之介 ししど-さまのすけ

1804-1864 江戸時代後期の武士。
文化元年8月13日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。大坂藩邸の留守居役となる。禁門の変に際し,京都で攘夷(じょうい)派の藩士の説得鎮撫(ちんぶ)にあたるが失敗。敗北後,大坂藩邸を幕府にひきわたして帰藩。元治(げんじ)元年11月12日恭順派にきられた。61歳。本姓は林。名は真澂。号は橘廂(きっしょう)。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

宍戸左馬之介

没年:元治1.11.12(1864.12.10)
生年:文化1.8.13(1804.9.16)
幕末の長州(萩)藩の藩士,名は真澂,通称,九郎兵衛,のち左馬之助。林家に生まれ,大組の宍戸家(120石余)の養子となる。嘉永3(1850)年,前大津代官となり,以後,京都藩邸都合人役,藩の所帯方役と財務の実務役を歴任した。家老益田右衛門介の手元役として,政務にも当たり,文久3(1863)年8月18日の政変で,長州藩が京都を追われたあと,大坂藩邸留守居役に任じ,翌年の禁門の変で大坂天王山に陣し,長州藩の撤退に当たった。帰国後,いわゆる俗論派政府によって野山獄に投じられ,長州藩四参謀として獄中で斬首に処された。

(井上勝生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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