日本では古代国家の律において規定されている五罪のうち,死罪には絞(こう)と斬との区別があった。斬とは,いうまでもなく殺すのに刃物を用いる方法だが,この区別が現れるのは7世紀半ばといわれ,《日本書紀》大化5年(649)3月条の,蘇我倉山田麻呂(石川麻呂)が反乱の疑いで誅された記事では,〈大臣(おおおみ)の頭(くび)を斬らしむ〉と〈絞(くび)らるる者〉というように,表現が使い分けられている。
中世に入ると絞罪は行われず,斬罪すなわち斬首刑が死刑の基本刑となった。鎌倉幕府は1232年(貞永1)制定の《御成敗式目》において,謀叛,殺害,夜討,強盗,山賊,海賊,放火を大犯,重科と呼んで斬罪(断罪ともいう)と定め,1250年ころ(建長ころ)の追加法で人勾引(ひとかどい)(誘拐),人売も斬罪の範囲に含めた。室町幕府は前代の法を継承したが,15世紀ころには上記の盗罪に窃盗を含めて,盗み一般を大犯と規定し,斬罪を科するようになった。なお,斬罪の特に重い者について,処刑前に大路を渡したり(引回し),処刑後に梟首(きようしゆ)したりすることもあった。また刑の執行は,京都では賀茂川の河原(特に六条河原),鎌倉では西郊の竜口(たつのくち)で行われることが多かった。
執筆者:佐藤 進一 江戸時代には斬首刑のうち士分以上にのみ適用したものを,特に〈斬罪〉と称した。幕府の制度,慣習では江戸の北,千住小塚原(こづかつぱら)刑場で執行し,検使たる徒目付(かちめつけ),町奉行与力の立会いのもと,町奉行同心が罪囚の首をはねた。《公事方御定書》下巻によれば,財産没収処分(闕所(けつしよ))も付加される。武士の死刑として切腹ほどに身分的名誉を尊重した罰種ではなく,それよりは重かったが,死屍を様斬(ためしぎり)の用に供することはないなど,同じ斬首の刑ながら死罪の刑よりは軽いものとして,取扱いに差異があった。
執筆者:加藤 英明
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死刑の一種。古代,律の五罪のうちの死罪に絞・斬の二つがある。斬は斬首を意味し,「身・首異処」するため絞よりも重いとされる。7世紀前期の日本の刑罰の実情を伝える「隋書」倭国伝には死とのみ記し,絞と斬の区別の有無は不明である。「日本書紀」では7世紀中期から死罪の場合に絞と斬を区別している。鎌倉時代になると斬罪が死刑の基本となって,絞罪は行われなくなった。「御成敗式目」では謀叛(むほん)・殺害(せつがい)・夜討・強盗・山賊・海賊・放火を大犯・重科として斬罪に定めている。のちに追加法で人勾引(ひとかどい)(誘拐)・人売が加えられ,室町中期には窃盗が強盗とともに大犯として斬罪を科されるようになった。江戸時代には士身分の者の盗賊・殺人などの重罪に対して科せられ,庶人に対する死刑は死罪ないし下手人(げしゅにん)であった。斬首にあたり目隠しがされず,死体が刀剣の様斬(ためしぎり)の用に供されない。見懲らし(みごらし)のため小塚原などの刑場で公開された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…私的に所持する財産を官没するもので,公的な支配権の召上げは改易(かいえき)と呼び区別した。《公事方御定書》によれば,鋸挽(のこぎりびき),磔(はりつけ),獄門,火罪,斬罪,死罪,遠島および重追放の諸刑には田畑,家屋敷,家財の取上げが,中追放には田畑,家屋敷の取り上げが,軽追放には田畑の取上げがそれぞれ付加される。これを欠所と称し,武士,庶民を通じて適用したが,扶持人の軽追放においてはとくに家屋敷のみの欠所とする。…
※「斬罪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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