日本歴史地名大系 「宗応寺」の解説 宗応寺そうおうじ 和歌山県:新宮市新宮町山際地宗応寺[現在地名]新宮市千穂一丁目千穂(ちほ)ヶ峯の東麓にある。東陽山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来像は恵心の作と伝える。聖徳太子の創建と伝え、寺伝および「続風土記」によればもと丹鶴(たんかく)山南麓にあって崗輪(こうりん)寺と号し、熊野速玉(くまのはやたま)大社(現新宮市)の神宮寺であったが、鎌倉時代に奈良西大寺の叡尊が来寺、以後法相・天台兼学の律院となった。その後香林(こうりん)寺と改め、天正年間(一五七三―九二)堀内氏善が伊豆国最勝(さいしよう)院(現静岡県中伊豆町)の秀山を迎え、禅寺としたという。慶長二年(一五九七)永平寺(現福井県永平寺町)より牟婁(むろ)郡中の曹洞宗寺院の触頭に任ぜられた。同六年丹鶴城(新宮城)を築城するに際し、当寺を神岩(しんがん)寺跡の現在地に移し、相野(おうの)荘高岡(たかおか)村(現三重県紀宝町)で寺領一〇〇石を寄進したと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報