朝日日本歴史人物事典 「定恵」の解説
定恵
生年:皇極2(643)
飛鳥時代の僧。藤原(中臣)鎌足の長男。白雉4(653)年に遣唐使に従い入唐,長安の慧日の道場に住し,神泰について学ぶ。天智4(665)年に唐の劉徳高の船により帰国するが,同年12月23日,大和国(奈良県)大原に没した。時に23歳。百済人による毒殺であるという。後世,彼を天智天皇の落胤とする説や,和銅1(708)年に帰国して大和多武峯を開き,鎌足の遺骸を摂津国安威山(大阪府)より改葬して十三重塔を建立し,同7年に70歳で没したとする説もあるが,信憑性には疑問がある。
(若井敏明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報