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定恵 じょうえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

定恵 じょうえ

643-666* 飛鳥(あすか)時代の僧。
皇極(こうぎょく)天皇2年生まれ。藤原鎌足(かまたり)の長男。白雉(はくち)4年(653)遣唐大使吉士長丹(きしの-ながに)にしたがって唐(とう)(中国)にわたり,天智(てんじ)天皇4年唐の劉徳高(りゅう-とくこう)とともに帰国した。「家伝」によれば,長安の慧日道場で神泰に師事したという。天智天皇4年12月23日死去。23歳。生没年に大化元-和銅7年(645-714)の説がある。

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朝日日本歴史人物事典の解説

定恵

没年:天智4.12.23(666.2.2)
生年:皇極2(643)
飛鳥時代の僧。藤原(中臣)鎌足の長男。白雉4(653)年に遣唐使に従い入唐,長安の慧日の道場に住し,神泰について学ぶ。天智4(665)年に唐の劉徳高の船により帰国するが,同年12月23日,大和国(奈良県)大原に没した。時に23歳。百済人による毒殺であるという。後世,彼を天智天皇の落胤とする説や,和銅1(708)年に帰国して大和多武峯を開き,鎌足の遺骸を摂津国安威山(大阪府)より改葬して十三重塔を建立し,同7年に70歳で没したとする説もあるが,信憑性には疑問がある。

(若井敏明)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の定恵の言及

【藤原鎌足】より

…平生から仏教に心を寄せていたので,嫡妻の鏡女王(かがみのおおきみ)は大津京の南西の山科(やましな)にあった別邸を寺とし,翌670年閏9月の本葬もこの山階寺(やましなでら)(興福寺の前身)で行われた。また,2人の息子のうちで長男の貞慧(じようえ)(定恵とも。643‐665)は僧とし,11歳で唐に留学させたが,帰国後まもなく病死。…

※「定恵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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