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山背大兄王 やましろのおおえのおう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山背大兄王
やましろのおおえのおう

[生]?
[没]皇極2(643).11.1. 大和,斑鳩
飛鳥時代の皇族。聖徳太子の子。母は蘇我馬子の娘刀自古郎女。推古天皇没後,皇位継承問題が起り,蘇我倉麻呂や境部摩理勢らに擁立されて,蘇我蝦夷の推す田村皇子 (舒明天皇) と争ったが敗れた。舒明天皇の没後はその皇后の皇極天皇が即位したが,その後,世間の人望が山背大兄王に集ったため,馬子の娘法提郎女 (ほていのいらつめ) の生んだ舒明天皇の子古人王を立てて外戚の威をふるおうとする蝦夷の子入鹿に皇極2 (643) 年斑鳩宮を襲われた。一時生駒山に逃れ再挙をはかろうとしたが,三輪文屋のほか王の側に立つ者も少く,「一身のために百姓万民を労するに忍びず」として斑鳩寺に戻り,妻子一族自殺した。

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デジタル大辞泉の解説

やましろのおおえ‐の‐おう〔やましろのおほえ‐ワウ〕【山背大兄王】

[?~643]飛鳥時代の皇族。聖徳太子の子。母は蘇我馬子の娘刀自古郎女(とじこのいらつめ)。推古天皇没後、蘇我蝦夷(そがのえみし)の推す田村皇子(舒明天皇)と皇位を争って敗れ、のち蝦夷の子入鹿(いるか)の襲撃を受け、斑鳩宮(いかるがのみや)で自殺。

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百科事典マイペディアの解説

山背大兄王【やましろのおおえのおう】

聖徳太子の子。母は蘇我馬子の娘。太子の死後は上宮王家を代表。推古天皇の没後田村皇子(のちの舒明(じょめい)天皇)と皇位を争った。641年舒明天皇が没しその皇位継承問題が起こると,蘇我氏は衆望のあった山背大兄王を除こうとした。
→関連項目斑鳩宮上宮聖徳太子伝補闕記蘇我蝦夷

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山背大兄王 やましろのおおえのおう

?-643 飛鳥(あすか)時代,聖徳太子の第1王子。
母は蘇我馬子の娘,刀自古郎女(とじこのいらつめ)。推古天皇の死後,田村皇子(のちの舒明(じょめい)天皇)と皇位をあらそい,敗れる。皇極天皇2年11月,古人大兄(ふるひとのおおえの)皇子を皇極天皇の後継にたてようとした蘇我入鹿(いるか)らの兵にかこまれ,生駒(いこま)山にのがれたのち,斑鳩(いかるが)寺で自殺した。名は山代大兄王ともかき,山尻王,上宮(じょうぐう)王ともいう。
【格言など】是(ここ)を以て,吾が一身(ひとつみ)をば,入鹿(いるか)に賜う(「日本書紀」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

山背大兄王

没年:皇極2.11(643)
生年:生年不詳
7世紀前半の王族。聖徳太子(厩戸皇子)の子。山代大兄王,山尻王,尻大王,山代兄王,上宮王とも書く。母は蘇我馬子の娘刀自古郎女。妻は異母妹の舂米女王(上宮大娘姫王)。財王,日置王,片岡女王の兄。岡本宮(のちの法起寺)で生まれ,父の死後は斑鳩宮(奈良県斑鳩町)に居住したと推定される。推古36(628)年,推古天皇の死後,押坂彦人大兄皇子(敏達天皇の皇子)の子田村皇子(のちの舒明天皇)と次期大王位を争った。叔父の蘇我蝦夷は天皇の遺言に従って田村皇子を,境部摩理勢は山背大兄王をそれぞれ推し,群臣らの意見も二分した。王は天皇の遺言によって,田村皇子には王位継承の理由がないことを蝦夷にたびたび主張したが認められなかった。摩理勢は甥の蝦夷の態度に怒り,斑鳩に赴き,泊瀬王(泊瀬仲王)の宮に居住した。蝦夷が王に摩理勢を差し出すように求めたので,王は摩理勢を諭し,さらに泊瀬王が病により急死し,行く所を失った摩理勢は,蝦夷の軍勢に攻め殺された。結局,舒明1(629)年1月,蝦夷と群臣の推戴により田村皇子が即位した。以後も有力な王族として発言権を有し,『旧唐書』倭国伝によれば,舒明5年に来日した唐使高表仁は「王子」と「礼」を争ったとあり,山背大兄王がこの「王子」であるとも考えられる。皇極2(643)年,蝦夷の子入鹿は上宮王らを廃して,舒明天皇の子である古人大兄を立てようと謀り,王らを斑鳩に襲った。王の奴三成や数十の舎人らは蝦夷の派遣した巨勢徳太や土師娑婆連らの軍勢と戦い,王は馬の骨を寝殿に投げ置き,妃や子弟らと共に生駒山へ逃れた。そのとき三輪文屋君は王に深草屯倉(京都市伏見区)から馬で東国に至り,王の私有民(上宮の乳部)を中心に軍勢をおこせば戦いに勝てると進言した。しかし王は万民の煩労を望まず,一族は王に従って斑鳩寺に戻り自殺した。墓所は,『延喜式』によれば「平群郡北岡墓」とする。「法起寺塔露盤銘」には,聖徳太子が死に臨んで「山代兄王」に勅し,岡本宮を寺とし,大倭国と近江国の田を施入させたとある。近年,法隆寺の釈迦三尊像の台座部材に「尻官」の文字が発見され,山背大兄王に関係する組織との見方もある。

(仁藤敦史)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

やましろのおおえのおう【山背大兄王】

?‐643(皇極2)
聖徳太子の長子で,母は蘇我馬子の女刀自古郎女(とじこのいらつめ)。異母妹舂米(つきしね)女王と結婚し,難波麻呂古王,麻呂古王,弓削王,佐々女王,三嶋女王,甲可王,尾治(おわり)王をもうけた。628年(推古36)の推古天皇の没後,田村皇子(のちの舒明天皇)と皇位を競い,多くの重臣が後者を支持したため,王を支持した馬子の弟境部摩理勢(さかいべのまりせ)は甥の蝦夷(えみし)に殺され,王は皇位をゆずった。これより先に王は父の没後,法起寺の建立にあたったと伝えられる。

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大辞林 第三版の解説

やましろのおおえのおう【山背大兄王】

?~643) 七世紀前半の皇族。聖徳太子の子。母は蘇我馬子の女むすめ。推古天皇没後、田村皇子(舒明天皇)と皇位を争ったが、蘇我蝦夷えみしに妨げられた。643年、蘇我入鹿いるかに斑鳩いかるがの宮を襲われて自殺。

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