日本歴史地名大系 「宝口」の解説
宝口
たからぐち
[現在地名]那覇市首里儀保町四丁目
王家の陵墓があった地域をいう。一帯を
墓陵は当初王の妻の墓として築かれたようで、「中山世譜」巻一〇によると、乾隆四七年(一七八二)に尚哲王の長子尚法が二歳で夭折した際に一時的に西森御墓に葬られたとある。同書によれば尚法の遺骨は同五九年に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
王家の陵墓があった地域をいう。一帯を
墓陵は当初王の妻の墓として築かれたようで、「中山世譜」巻一〇によると、乾隆四七年(一七八二)に尚哲王の長子尚法が二歳で夭折した際に一時的に西森御墓に葬られたとある。同書によれば尚法の遺骨は同五九年に
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