宝満寺跡(読み)ほうまんじあと

日本歴史地名大系 「宝満寺跡」の解説

宝満寺跡
ほうまんじあと

[現在地名]志布志町帖

ちよう地区の南、まえ川左岸にあった。秘山密教院と号し、創建は「三国名勝図会」などでは奈良時代と伝えるが不詳。鎌倉時代後期以降は西大寺流律宗で、奈良西大寺末であった(明徳二年九月二八日「西大寺諸国末寺帳」西大寺文書)。また京都泉涌せんにゆう寺末であったとも伝える。本尊は西大寺から招来した如意輪観音で、蓮台に元応二年(一三二〇)九月一九日造功と記されていたという(三国名勝図会)。正和五年(一三一六)一一月三日の沙弥蓮正打渡状(旧記雑録)に「日向方嶋津御庄志布志大沢水宝満寺敷地四至境事」とみえ、このとき、東は深小路大道、南は経峰、西は河、北は天神山後堀を四至とする寺地が定められ、当寺に渡された。河は前川であろう。同年に鎌倉極楽寺忍性の弟子信仙が下向し堂塔を新建したという「三国名勝図会」の所説と関連するものか。鎌倉時代の西大寺流律宗(叡尊教団)は、北条氏と結び付いて教線を拡大した。いっぽう鎌倉前期以来島津庄日向方地頭は北条氏で、志布志はその支配拠点の一つであったから、宝満寺も北条氏と西大寺流律宗との結び付きのなかで、律宗寺院として再興されたものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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