日本歴史地名大系 「宝鏡院門前」の解説 宝鏡院門前ほうきよういんもんぜん 茨城県:水戸市水戸城下下町宝鏡院門前[現在地名]水戸市城東(じようとう)一―二丁目那珂川の右岸にあり、東は新(しん)橋をもって新河岸(しんかし)、西は浮(うき)町。寺院宝鏡院があって、この地はすべて宝鏡院の境内であった。「大和田重清日記」の文禄二年(一五九三)一〇月一七日に「宝鏡御門前」とみえる。寛文六年(一六六六)寺は青柳(あおやぎ)村へ移り、その跡を諸士の屋敷とした。寺地東隣の地は館山九郎に与えられ、山九郎(さんくろう)河岸(新河岸)とよばれた。この河岸と寺地の間に舟番所が設けられ、元禄三年(一六九〇)には蘆沢源五兵衛より舟番所までは元門前(もともんぜん)町と名付けられたが、のちには門前とのみいわれるようになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by