日本歴史地名大系 「室山村」の解説 室山村むろやまむら 富山県:滑川市室山村[現在地名]滑川市室山早月(はやつき)川が形成した隆起扇状地(室山野台地)上の東端に位置し、北は大林(おおばやし)村、西は中野(なかの)村。室山野で最も早く開発に手がつけられた所で、村名の由来はもとこの辺り一帯が小深い森林で「もり山」と称し、いつの頃か「むろ山」とよぶようになったと伝える(東加積村誌)。村の開祖太郎右衛門は松倉(まつくら)城(現魚津市)の武将であったが、天正四年(一五七六)同城の椎名氏が滅亡した時に帰農してこの村を開墾したという(同書)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高五四石、免四ツ九歩、小物成は山役二二匁(三箇国高物成帳)。 室山村むろやまむら 兵庫県:小野市室山村[現在地名]小野市樫山町(かしやまちよう)樫(かし)村の南西、加古川左岸に位置し、西に向かって延びる樫山台地が加古川に落込む西端の小規模な扇状地に立地する。南は美嚢(みなぎ)郡正法寺(しようぼうじ)村(現三木市)。慶長国絵図に村名がみえる。領主の変遷は寛永九年(一六三二)幕府領となるまでは門前(もんぜん)村と同じと推定され、しばらく幕府領の時期が続く。享保一五年(一七三〇)以降は黍田(きびた)村と同じ。正保郷帳では田方一〇八石余・畑方一四石。元禄郷帳では高一三二石余。天保郷帳では高一三六石余。旧高旧領取調帳では陸奥白河藩領一三二石余・幕府領二石余のほか、皇太神社除地として一石余がある。 室山村むろやまむら 三重県:四日市市南部地区室山村[現在地名]四日市市室山町・笹川(ささがわ)・高花平(たかはなだいら)西日野(にしひの)村の西に位置し、天白(てんぱく)川が村の南を流れる。天正一二年(一五八四)頃の織田信雄分限帳に「百貫文三重 むろ山郷相違 林平右衛門」と出る。江戸時代は初め桑名藩領、文政六年(一八二三)忍(おし)(現行田市)藩領、天保一三年(一八四二)幕府領、弘化四年(一八四七)再び忍藩領。宝永八年(一七一一)の村指出帳(徳川林政史蔵)では人口一八一(男九五・女八六)、うち本百姓は一三五・名子水呑四六、戸数三一。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by