宮ノ村(読み)みやのむら

日本歴史地名大系 「宮ノ村」の解説

宮ノ村
みやのむら

[現在地名]佐世保市南風崎町はえのさきちよう城間町じようまちよう宮津町みやづちよう瀬道町せどうちよう萩坂町はぎさかちよう奥山町おくやまちよう長畑町ながはたちよう

現市域の南東部、広田ひろた村の南に位置し、南西部は大村湾に臨む。現萩坂町にてぼがみ古墳がある。中世から宮村などとしてみえる。寺辺田てらべたの真宗崇聖山正蓮しようれん寺に永正五年(一五〇八)銘の木造阿弥陀如来坐像があり、天正年間(一五七三―九二)キリシタン蜂起に伴って寺院が焼亡した際、火中より救われて広田に近い浦川内うらかわちに隠し、のち帰座したという。萩坂に宮村館、小峰こみね城が築かれていた。平戸往還が通り、村境に一里塚が置かれた。彼杵そのき郡のうちで、江戸時代は大村藩領の地方じかた地区に属する。慶長一〇年(一六〇五)の大村領内高目録に宮ノ村とみえ、高七四四石余で、田五四町三反余・畠一三町余、物成四〇九石余。同一七年の総検地では高一千一四六石余となるが(同一八年彼杵郡内検高目録)朱印高は七四四石余とされた(元和三年「大村純頼領知目録」大村家記)慶長国絵図では宮村とする。慶長高帳では蔵入地のほか、知行高五八七石余の庶家一門大村六左衛門の知行地があったが、同一二年の御一門払により追放され、慶長一七年の諸士高帳によれば蔵入地がなく、中間三八人などの知行となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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