宮之上村(読み)みやのうえむら

日本歴史地名大系 「宮之上村」の解説

宮之上村
みやのうえむら

[現在地名]岐阜市三輪みわ

三輪村北東武儀むぎ川の右岸に立地する。天文元年(一五三二)一〇月二九日の衛門太郎しき米借券(真長寺文書)によれば、借主の衛門太郎は「宮ノ上」に住していた。天正一〇年(一五八二)一〇月二日、当地の彦七郎は田八斗余を真長しんちよう寺に売渡している(「彦七郎売券」同文書)。慶長五年(一六〇〇)一〇月の富田伊豆守村高沙汰書(国立史料館蔵)に宮上村一八七石余とあり、関ヶ原の合戦後、幕府領であったことが知られる。以後幕府領として推移するが、元和五年(一六一九)までは三輪村に陣屋を置いた代官栗原盛清の支配を受けた。


宮之上村
みやのうえむら

[現在地名]中伊豆町宮上みやかみ

大見おおみ川と支流地蔵堂じぞうどう川の合流地点左岸にあり、東は柳瀬やなせ村。文禄三年(一五九四)検地が行われ、検地帳に「葛見荘大見内宮上村」と記されていたとされる(増訂豆州志稿)。延宝四年(一六七六)の高六七石余(「伊豆国中拾組高寄帳」石橋家文書)。江戸時代初期は幕府領、元禄一一年(一六九八)旗本天野領となり幕末まで続く(韮山町史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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