宮倉町(読み)みやぐらちよう

日本歴史地名大系 「宮倉町」の解説

宮倉町
みやぐらちよう

[現在地名]三島市大社町たいしやちよう出町でちよう東町ひがしちよう

東海道を挟んで金谷かなや町の南方、すなわち三嶋明神(三嶋大社)南東方角にある町。建武二年(一三三五)三月一二日の雑訴決断所牒(三嶋大社文書)みえ、三嶋社神主盛親の訴えにより、当地や北中きたなか村などの三嶋社領に対する資盛(盛資か)・盛行らの濫妨を停止するよう伊豆国衙に命じられている。貞享五年(一六八八)には北金屋町に対して南金屋町と称しており、家数二五(家持一八・借屋七)、町の長さ五八間(三島町外万覚帳)。寛政一〇年(一七九八)の三島宿明細帳(秋山家文書)の南金谷町の注記に「当時宮倉町」とあるので宮倉町と改名したことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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