日本歴史地名大系 「多賀国府」の解説
多賀国府
たがこくふ
古代末から中世にかけての陸奥国の国府。八世紀前半に多賀城が築かれて以後、国府は多賀城に置かれており、九世紀初頭に
「台記」康治二年(一一四三)五月一四日条に、陸奥国守藤原佐世が撰した「古今集註孝経」について、「第九巻奥、以朱書云」として「寛平六年二月二日、一勘了、于時、謫在陸奥多賀国府」とある(ただし、朱書部分を「一勘了」までとする説もある)。天喜四年(一〇五六)陸奥守兼鎮守府将軍源頼義は、任期切れにあたって、鎮守府の政務を行うため国府を出発しているが、麾下・内客や自らの妻子を国府に残しており(陸奥話記)、任期中国府で生活していたことがわかる。寛治元年(一〇八七)九月、後三年の役において陸奥守兼鎮守府将軍源義家が清原家衡・武衡の籠る
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報