高塚古墳(読み)たかづかこふん

日本歴史地名大系 「高塚古墳」の解説

高塚古墳
たかづかこふん

[現在地名]榛東村新井 高塚

榛名はるな山の南東麓、小谷に挟まれた西から東へ走る小丘陵の尾根上に構築された二段築成の前方後円墳で県指定史跡。周辺は横穴式石室を主体部とする小円墳の密集地帯で、「上毛古墳綜覧」では新井あらい地区で一三九基(うち高塚は一八基)が確認されており、当古墳はこれら古墳群の中核的存在。墳丘および横穴式石室について発掘調査が実施され、ほぼ全容が明らかにされた。全長約六五メートル、後円部径約三五メートル、前方部前幅約四七メートルで、尾根上の自然地形を巧みに利用する。墳丘斜面には葺石を施し、基壇面を中心に埴輪円筒列が囲繞しており、墳頂部に配されたものの崩落と思われる形象埴輪(人物・盾・玉纏大刀・靭・鞆・家・馬具など)も確認。


高塚古墳
たかつかこふん

[現在地名]明和町上村 高塚

上村うえむら南端から南へ一キロ離れた丘陵地帯の比高約三五メートルの支脈頂部に築造。昭和五三年(一九七八)測量の結果、全長七五メートル、後円部径五五メートル、高さ九メートルの規模をもつ帆立貝式の前方後円墳であった。当古墳には神前山かんざきやま一号墳同様、長さ一〇メートル、幅一五メートルほどの方形造出しが後円部北西麓に付くことも測量図から看取される。


高塚古墳
たかつかこふん

[現在地名]三次市西酒屋町 高塚

全長四六メートル、高さ七・五メートルの五世紀前半の築造とみられる帆立貝式前方後円墳。昭和一六年(一九四一)後円部の竪穴式石室が破壊され、鉄刀・鉄釘・鉄鏃とともに鏡(京都大学蔵)が出土した。この径二〇・八センチの舶載画文帯神獣鏡には一四句五六字の銘文がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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