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多賀城 たがじょう

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日本の城がわかる事典の解説

たがじょう【多賀城】

宮城県多賀城市にあった古代の城柵で、陸奥国府・鎮守府が置かれた。国指定特別史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。多賀城には奈良・平安時代を通じて陸奥国府が置かれ、東北各地に設置された城柵の中心的な存在となった。塩釜付近から西に続く低い丘陵の先端に位置し、外側の大垣は約900m四方で、南・東・西の門があり、その内部には政庁のほか、木製品や鉄製品をつくる工房や兵士の宿舎などがあった。9世紀には南門に至る南北大路と、南北大路に直交する東西大路を主要道路として、100mごとに小路がつくられ、碁盤の目の道路網を持つ都市がつくられ、上級役人の邸宅やさまざまな職業の人々の住居が建設されて都市を形成していた。近年、多賀城跡では、曲水宴の遺構が出土するなど、再び注目を集めている。多賀城は奈良時代の724年(神亀1)に、のちに陸奥鎮守将軍となった大野東人(おおののあずまびと)により築城されたといわれ、その完成後、仙台市太白区の郡山遺跡にあったと推定されている陸奥国府・鎮守府が、多賀城に移されたのではないかといわれている。畿内政権と蝦夷(えみし)の勢力圏の境界に位置する最前線の軍事拠点だったが、802年(延暦21)の坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)による蝦夷討伐により境界が北進し、鎮守府が胆沢(いさわ)城(岩手県奥州市)に移されている。10世紀頃にはほとんど使用されなくなり荒廃したが、14世紀前半(南北朝時代)には、後醍醐天皇の皇子義良(のりよし)親王(後村上天皇)を奉じた北畠親房(ちかふさ)・顕家(あきいえ)父子が南朝方の拠点としてここに陸奥将軍府を置き、再び歴史の舞台に登場する。しかし、その後間もなく北朝方に奪還され、将軍府は霊山城(りょうぜんじょう)(福島県相馬市~伊達市)に移転した。多賀城跡には現在、政庁跡が残っているほか、城碑、復元された塀などがある。同市にある東北歴史博物館には、多賀城跡からの出土品が多数保管・展示されている。JR東北本線国府多賀城駅から徒歩約10分。

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デジタル大辞泉の解説

たが‐じょう〔‐ジヤウ〕【多賀城】

現在の宮城県多賀城市に築かれた古代の城柵。奈良時代に陸奥(むつ)国府按察使(あぜち)鎮守府が置かれ、東北経営の拠点であった。
宮城県中部の市。仙台市と塩竈(しおがま)市との間にあり、都市化が著しい。多賀城碑・多賀城跡がある。人口6.3万(2010)。

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百科事典マイペディアの解説

多賀城【たがじょう】

多賀柵(たがのさく)とも。古代・中世の東北経営の基地。鎮守府・陸奥(むつ)国府の所在地。城跡(特別史跡)は宮城県多賀城市市川。現存する多賀城碑に724年築城,762年修造とある。
→関連項目伊治呰麻呂漆紙文書蝦夷地大野東人国衙・国府城柵志波城多賀城[市]玉造柵宮城[県]陸奥国霊山城留守氏

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世界大百科事典 第2版の解説

たがじょう【多賀城】

日本古代の城柵。多賀柵(たがのさく)ともいう。東北に設けられた諸城柵の中にあって長期間にわたって最も重要な役割を果たした。その遺跡は,宮城県多賀城市市川,浮島の地にある。江戸時代から,日本三古碑の一つ多賀城碑が存在することや,瓦が多数出土することからこの地が多賀城の跡であることが知られていた。
[沿革]
 多賀城の創建は,六国史等に明示されていない。おそらく8世紀初頭から前半にかけての時期にはすでに建造されていたと考えられるが断定はできない。

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大辞林 第三版の解説

たがじょう【多賀城】

奈良時代、東北地方に対する律令制支配の拠点として現在の宮城県多賀城市市川に築かれた城柵。陸奥国府、陸奥・出羽を管轄する按察使、軍政をつかさどる鎮守府、の三種の機能を有した。城跡に日本三古碑の一である天平宝字六年の日付のある多賀城碑がある。
◇ 宮城県中部の市。仙台市の北東に接する。多賀城址がある。電機・金属工場が立地し、近郊農業も盛ん。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

多賀城
たがじょう

「たがのき」とも読む。宮城県多賀城市に築かれた古代の城柵(じょうさく)。古代の陸奥(むつ)国の国府のあったところで、陸奥・出羽(でわ)両国を管する按察使(あぜち)もおり、奈良時代には、鎮守府(ちんじゅふ)も置かれ、東北地方の政治、軍事および文化の中心をなした。
 多賀城の創建年代ははっきりしないが、737年(天平9)に初めて史料に「多賀柵」とみえ、「多賀城」として現れるのは780年(宝亀11)の伊治呰麻呂(いじのあざまろ)の乱のときである。この反乱で、多賀城も攻め落とされ、放火された。さらに、869年(貞観11)の陸奥国大地震では、大きな被害を被っているようである。なお、802年(延暦21)胆沢(いさわ)城造営とともに、鎮守府は多賀城から胆沢城へ移された。その後、前九年・後三年の役および源頼朝(よりとも)の奥州藤原氏征討のときには、「多賀国府」とみえる。中世においても、鎌倉幕府の陸奥国留守職(るすしき)が、南北朝には陸奥の将軍府が置かれている。特別史跡は、多賀城市大字市川・浮島の地にあり、仙台平野の北東端に位置し、海抜20~50メートルの丘陵の先端部の一画を占めている。周囲は約900メートル四方の不整方形に築地(ついじ)が巡り、その中央部には約100メートル四方の政庁がある。政庁は5回の建て替えが行われているが、全体の規模や整然とした建物の基本的な配置は変わらない。外郭内地域の調査も進み、多くの役所の建物跡が検出されている。遺物のなかでは、全国で初めて発見された漆紙文書(うるしがみもんじょ)が注目される。なお、多賀城の沿革などを記す有名な多賀城碑(俗に「つぼのいしぶみ」とよぶ)が外郭南門跡付近にある。[平川 南]
『宮城県多賀城調査研究所編『多賀城跡――政庁跡図録編』『多賀城跡――政庁跡本文編』(1980、82・宮城県文化財保護協会) ▽桑原滋郎編「多賀城跡」(『日本の美術 213』1984・至文堂)』

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世界大百科事典内の多賀城の言及

【漆紙文書】より

…古代では,これらの紙は役所の公文書であることが多く,その資料的価値は高い。1978年に古代東北地方の政治,軍事の中心であった多賀城の遺跡(宮城県多賀城市)ではじめて発見され,全国的に注目された。温暖多湿な日本では紙が地中に遺存することはまれであり,今まで古代の紙が地中から出土した例は,経塚(きようづか)に埋納された経巻程度である。…

【鎮守府】より

…しかし〈鎮所〉は鎮守府の存在と密接に関連した呼称であるが,本来正式な機関名としての鎮守府とは同列に置いて比較すべき用語ではない。鎮守府ははじめ,多賀城に置かれた。759年(天平宝字3)には将軍以下の俸料(ほうりよう)と付人の給付が陸奥の国司と同じと決められた。…

【出羽国】より

…北から東,南東部まで陸奥国に接し,陸奥国とともに奥羽(おうう)と総称され両国の一体関係は強かった。政治的には721年(養老5)以来陸奥按察使(むつのあぜち)の統轄下に属し,軍制上も陸奥多賀(たが)城のちには胆沢(いさわ)城に置かれた鎮守府の指揮下にあった。この地方が史上最初にあらわれるのは,658年(斉明4)越(こし)の国守阿倍比羅夫(あべのひらふ)の北航に際し齶田(あきた∥あいた),渟代(ぬしろ)に郡(評)(こおり)を置いたという《日本書紀》の記事である。…

※「多賀城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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